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犬と喧嘩するのにわざわざ四つん這いになる必要はない

ミーティングという文化

通っていた中学校には「ミーティング」という文化があった。
ここでいう「ミーティング」とは何かというと、端的に言うと気に食わないやつを呼び出して、みんなで囲んで文句を言ったりダメ出しをする。それを「ミーティング」と呼んでいた。
スクールカースト」なんて言葉があるけど、中学時代にはなぜか「先にダメ出しをした方が強くて偉い」みたいな空気があった。
例に漏れず私もミーティングをされたことがある。10人だか15人だかの同級生に放課後の教室に呼び出されて、一方的にダメ出しをされる。といっても内容は「○○君と仲がいいけど好きなのどうなの!?」となぜか責められたり、持ってるモノがかぶっててマネしてると思われると嫌だとか、兄が居たせいで先輩に可愛がられててズルいだとか、しょうもない内容だった。
大体ミーティングをやる目的自体が「とりあえず誰かにダメ出ししてマウントを取りたい」なので、内容なんてそんなもんだよなと今では思う。
その時に私は何をやったかと言うと、それまで以上に明るくハツラツと振る舞った。他人のために自分自身を消耗したり犠牲にしたくない。
自分が何を感じ、何を考え、どういう言葉や振る舞いをしたいかに注意を払いたい。しょうもない仲間ならいらない。孤独でいい。つまり、気高く生きたいと思った。
 

気持ちよくなってるんだね

なぜ人は他人に対してダメ出しをし、一方的な批評を語り、文句を言うのか。多分その理由は明白で、「それが気持ちいいから」だと思う。
自分にもし子どもができて、いつかいじめについて語ることがあるなら、「いじめはダメですって学校で教わるかもしれないけど、いじめはダメなことだからやってはいけないだけではなくて、信じられないかもしれないけど他人を傷つけることには時として気持ち良さが含まれる。それはとてもおぞましいことで、だから他人を傷つけて気持ちよくなる自分に気をつけないといけない。」という話をするだろうなと考えてきた。
幸運にも子どもを授かることができて絶賛育児中なので、そのうちいじめについても子と話をすることがあるだろうと思う。
他人の至らなさへのダメ出しや正義感に駆られた過度な指摘なんかは偉いことじゃなくて、誰にでもできるというか、むしろ気を抜いたらやってしまう類のことだと思う。それをドヤ顔で行って気持ちよくなっている自分にもし気がつくことがあれば、その感情をよく観察して、自分の中の感情に注意するのだよと話すと思う。
間違いの指摘やダメ出しに終始して建設的でない強い言葉をドヤ顔で吐いている人を見ると「気持ちよくなってるんだね」とママは感じるよ、君もその気持ちよさには気をつけなさいね、と。
 
 

犬と喧嘩するのにわざわざ四つん這いになる必要はない

テレビに出ていた若い女性が亡くなったというニュースを見た。たくさんの誹謗中傷に耐えかねてのことらしいが、テレビを見ない生活を長くしているため、その女性についても、テレビ番組の内容についてもよく知らない。
他人からの心ない言葉によって人が一人亡くなり、さらに本件に関連したツイートと思われるきゃりーぱみゅぱみゅさんのツイートへの攻撃が発生しているのを見て、かつての「ミーティング文化」についてふと思い出した。
 
以前インターネットで見かけた言葉で「犬と喧嘩するのにわざわざ四つん這いになる奴はいない」というのがある。
表現としてはどうも品に欠けて好みではないのだけれど、しかしその通りだと思う。かつて「気高く生きたい」と思った自分の気持ちをーー完全な表現ではないにせよーー言い表された気持ちになった。この表現を、品に欠け完全な表現ではないと思いながらもブログ記事のタイトルにまでしているのは、少なくとも私がこの言葉に救われたことがあるから。
誰かに傷つけられたときに、同じような方法でやり返したり他の誰かを傷つける側に回るのではなく、自分がどのような人間としてどう在りたいかをよく考え、言葉や行動に注意し、在りたい自分として存在していくことに注力したい。
 
事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。
 
何かしらの物事や情報に遭遇したときに発する解釈に、その人の思考や傾向が透ける。そこに無自覚であることはとても恐ろしい。
私は犬にはなりたくない。願わくば四つん這いになって吠え返すこともしたくない。だから私は解釈を通して自分が犬になっていないか、常に注意深くありたいと思う。
 

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