最近、図書館に通って、適当に目に付いた本を読むということをしている。
先日たまたま「マインド・コントロール」という本が目に付いて、なぜ人は洗脳されるのか、マインド・コントロールの構造を知りたくて読んだ。
なぜテロリストが、自らの命を犠牲にしてまで自爆テロを行うのか。
なぜ霊感商法に引っかかり、カルト的宗教集団へのめり込む人が後を絶たないのか。
なぜドメスティック・バイオレンス(DV)から抜け出せないのかなど、そこに陥る人々の心理と、その構造がわかりやすく紹介されている。
「マインド・コントロール」というと、操られた状態のように感じられるけれど、それらは催眠状態のような操作された状態で行われているわけではなく、むしろ自らの選択と決心によって行なわれている。
ただし、だからといって彼らがマインド・コントロールを受けていることが否定されるわけではなく、マインド・コントロールを受けたものは、「自らが主体的に決意して自己責任で行動した」と思うことが普通であるという。
マインド・コントロールの説明で一番腑に落ちたのが、「トンネル」に喩えた環境の状態である。
例えばテロリストの場合、一旦テロを決意してもその後怖気づいたり、死ぬのが強くて気持ちが揺れることも考えられる。
そういう時に、後戻りさせない仕組みとして、テロを実行する前から「英雄」として扱ったり、死後公開するための遺言をビデオに撮ったり、記念碑を建てたり、家族に対して「英雄」を生み出した一家として栄誉と経済的優遇を与えたりする。
そうすると、自らのテロでの死が「既成事実」となり、周囲に対して「やっぱ止める」とは言えない状況を作り出す。
日本でも戦時中には命がけでお国のために戦うことが当然の考えとして共有され、出征する際には万歳三唱で送り出し、本人も「立派にお国のために戦ってきます」と故郷を出て行くわけだから、退路がない。
つまり、存在する社会において他の選択肢や考えに触れる猶予のない「トンネル」のような状態であることが、人にそのような行動を行わせるというのだ。
人は社会的な生き物であり、自らが存在する社会の中で生きている。
そういう性質ゆえ、人が属する集団が、有無を言わせず一つの考えを絶えずそそぎ込むことで、それが自らの考えになるだけでなく、その集団への愛着や絆のために、時に自らの命を犠牲にするといった不可逆な行動をも行わせる。
翻って自分を見つめ直してみると、上記のような悪い方向でなくとも、自分自身でも自分を鼓舞したり騙したりするために、意識的にマインド・コントロールを行う場合もあるように思う。
またテロやカルト集団のレベルまでいかなくても、常に小集団や社会に属して存在する我々にとって、今「それが当然のこと」として思われているものの中にも、マインド・コントロールされているものもあるのかなと考えると、少々背筋に冷たいものが走る。
本ではカルト集団や依存性パーソナリティなどの他にも、中盤からCIAの洗脳の話や催眠術に関する話なども出てきて(ホントかよ...)と思う内容もあるけれど、実際に起こった事件や研究資料を基に紹介されているので、興味深く読めた。