「サービスの仕様で、本当はこうしたほうがいいって思ってることがあるんだけど、多分(言ったとしても)聞いてくれないんだよねぇ」という愚痴というか悩みというかを先輩社員から言われて、いつも返す言葉がある。
「それ、ちゃんと殴りあったほうがいいですよ」
私の雑な助言に対し、だいたい苦笑いと一緒に返ってくるのは、
「う〜ん、言ってもいいんだけど、サービスを作ってるのはあっちだから余計なこと言ったらアレかなとか、関係がギクシャクしちゃう可能性もあるから、言うとしても慎重にやんないとだよねぇ」という趣旨の言葉だ。
「ちゃんと殴りあう」の意図を端的に説明すると、「思ったことは率直にちゃんと伝えて議論した方がよい」ということである。
私が言いすぎなのか、意外と人は思っていることや、気づいたちょっとした違和感を口にしない。それどころか、まったく些細ではない(結果的に)重要なことでも、自分にその責任や権限がないと思っていると、発言したほうがよいことであっても、萎縮して発言しない。または一度受け入れられなかったら諦める。これは環境や文化にもよるのかもしれない。
一見、意見を受け付けている風だけど、いざ意見を言うと「でもこれはこうこうで〜」と結局意見を言った意味もなく、そもそも受け入れる余白すらないこともある。
何かについて意見や指摘すること自体をあまりよく思わない人もいて、気づいた改善点や違和感を指摘をしても、無責任な批判と受け取り「みんな頑張っているのにそういう(マイナスの)ことを言うのはよくない」となることもある。
誰も自分のやってることを指摘されたり批判されたりするのを好むひとはいないと思うけど、マイナスの言葉を全面的に悪とする考え方の人もどうやらあるらしい。
改善したほうがよいことがあっても、それを率直に伝えられる雰囲気がないばかりか、最終的に伝えることさえ諦めて、違和感を持ち続けた状態で仕事をしなければならないのは、双方にとって不幸なことだと思う。
「マウンティングしたいだけの批評」と「改善のための指摘」は区別して考えたほうがよいし、伝える側としても、目的はあくまで改善するための意見であることを明確にしなければいけない。
これを考える上で意外だったのが、自分は意外とコミュニケーションが苦手じゃないんだなということだった。
良くも悪くも思ったことを(意図的に)空気を読まずに言うタイプで、人と比較しても「物申す」ことにあまり臆するタイプではないことから、「発言する」という部分をクリアしている。ただし、あまり強引なタイプでもないので「問題を解決したい、こういう案がある」と指摘と解決案をセットで伝えつつ折り合いをつけることもできる。
結局、「相手の心象を悪くするかもしれない」と核心の部分をぼやかしてふわっとした表現と関係で仕事をするのは、的確に問題を解決できないうえに、本当の意味ではコミュニケーションを諦めていると思う。
だから、自分が意見や違和感があるときには「ちゃんと殴りあう」こと。そういう「コミュニケーションを諦めない」のは大事だし、このバランスというのはなかなか難しいことなのだなぁとこの頃思ったのでした。