キッチリとメイクをするタチな割に、口紅をつけることはほとんどない。
せいぜいリップを塗る程度で、つけるとしてもこの頃のような寒さで血色の悪い季節にうすく引く程度である。
なぜ口紅だけつけないのか、考えればいくつか理由はある。
まず他の化粧と違って口紅を唇につけるのは、どうにも口に入る気がして気が進まない。
次に、昔ヘビースモーカーだったことも原因している。煙草を吸う習慣があると、口紅はその都度中途半端に落ちて、まめに直さないといけない。これは化粧直しの習慣とマメさを持ってない自分には向かない。
そんな理由で口紅をつけない、と思っていたけど、原因はもっと大昔、子供の頃にあったのを思い出した。
私が子供の頃、母は真紅の口紅を塗っていた。おそらく母との外食時や、喫茶店に入ってお茶をした時なのだと思う。母の飲むコーヒーカップにはいつも口紅の跡がついていた。
子供心にその口紅の跡は、自分自身や私と母との関係の間には存在してはいけない、異質のもののように思えた。
私のメロンソーダのグラスにはないその口紅跡は、母ではなく、妻でもなく、女としての未知の母の影のように感じた。
その跡は当然私には好ましくなく、非道く醜悪でハレンチなもののように映った。またその跡を指先で拭う仕草も好きになれなかった。
先日。コーヒーを飲んでいて、珍しくつけていたことを忘れていた口紅の跡がカップについていて、ギョッとした。
私の中の無意識の女が、そこにいるような気がした。