新譜を検索するという体験

ファッション雑誌を見るのが好きで、中学時代には月に何冊も買っては、気に入ったスタイルを切り取ってスクラップしていた。

ファッション雑誌には洋服だけでなく、コスメ、恋愛系コラム、芸能人インタビューなど色々なコーナーがあるわけだけど、雑誌の後ろらへんには、最新の映画や本や音楽を紹介するカルチャー特集がある。

雑誌に掲載されたテキストの情報なので、映画や本であればあらすじを、音楽であれば CD のジャケットやアーティスト紹介文などを参考に「へ〜、どんな内容なのかな〜」とぼんやり想像したり、あるいはより気になれば実際に映画館へ行ったり、本屋やCD ショップに見に行くような程度のことであった。

最近はファッション雑誌を買って読む機会もほとんどなくなったのだけど、先日夫の入院の差し入れで思い立ってメンズ・ファッジを買ったので、雑誌のメインコンテンツに目を通した後、このカルチャーのコーナーを眺めた。

 

 

音楽コーナーは当たり前だけど、どれもここ最近リリースされた新譜で、知ってるアーティストもいれば、知らないアーティストもいる。

新譜ジャケットに添えられた説明文を読むと、なるほど聴いてみたいと思い、スマートフォンで音楽ストリーミングサービス*1を立ち上げて、雑誌に載っているアーティスト名を検索する。するとアーティストはヒットして、最新アルバムが聴ける状態で画面に表示される。私はタイトルをタップして、再生する......。

とここで、この一連の流れに、唐突にびっくりしてしまった。 

 

まず第一に、雑誌に掲載されていた新譜を、情報としてごく自然に自分が普段使っている音楽ストリーミングサービスで検索したこと。

そしてそれら新譜は当然のように検索でヒットして、アルバム曲全部がフルですぐに聴ける状態*2であったこと。

最後に、雑誌というアナログな世界で、10年20年前と同じ感覚で情報に接していたのに、そこから派生する自分の行動が雑誌をよく読んでいた頃の事情と比較して明らかに、あまりに、未来的(あるいは現代的)だったから。

 

これまでもきっと、気になる楽曲があったら YouTube なんかで検索することはできたしやっただろうけど、それは大体に一曲単位で、時には(恐らく)非権利者によるアップロードであったり、仮に公式なアルバム情報であってもダイジェスト版のような切られた情報で、こんなにスムーズに新譜がアルバム単位の形でアクセスできるものでなかった。

 

サービス単体を切り取って、ぼーっとその恩恵を受け取っているとあまり実感することがないけど、過去の自分であったら取っていただろう行動が変わったのだという体験にふいに触れると、これはなんてすごいことなのだろうと、今更ながら感動してしまったわけです。

 

 

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men's FUDGE -メンズ ファッジ- 2018年6月号 Vol.103
 

 

*1:周りの人たちは Apple Music を使っている人が多いようだ。私は AWA を使っている。

*2:しかも月額定額。

君を車椅子に乗せて東京を歩く

病弱な夫がこの頃いよいよ体調を崩しており、起き上がるのが難しい。

普段も出かける時はしばらくじっとして、体力を溜めてからようやく杖をついて出かけるほどで、家では大体寝たきりでいる。

家でずっと寝たきりで過ごすと退屈で仕方ないらしい。私も苦しそうな夫を見ながら家にばかりいると無意識に気が塞いでしまうので、GWを前に、連れ立って出掛けられるよう Amazon で車椅子を買った。*1

 

カドクラ チャップス 自走用車椅子 折りたたみ式 オーシャンブルー A101?AB

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ロードムービー

家では起き上がることも難しい夫を車椅子に乗せて東京の町中を歩いていると、不思議な気持ちになる。

私の掌が操る車椅子の先に夫の身体があって、そのすべてを私に委ねながら運ばれている。人間ひとりの命を運んでいるこの感じはなんだろう。

春の風吹く町はやさしく、ときどき意地が悪い。普段なら通れる道が通れない。少しの段差が大きな障害になる。必然的に普段とは違う風に、町と付き合うことになる。

 

生身の人間を何かに乗せて押した記憶は、10歳離れた弟の育児をしていた頃以来だ。

赤子より何倍も重い数十kgする大人を押して歩くことは、海外旅行用の大きなトランクを引きずって町中を闊歩するよりもう少し、難しい。

少しの段差でも随分衝撃になるので、台車に大人の体重分のひよこなんかを乗せて歩いてるような感じだろうか。

こういう、人間を何かに乗せて押しながら歩くのに似たシーンをどこかで見た気がする。「誰も知らない」*2でたしか母親がトランクの中に子どもを入れて移動するシーンがあったけど、でもあれはちょっと違うか。

ここではないどこかへ向かう的な、ロードムービーっぽい感じ。「PiCNiC」*3に近いシーンなかったっけって思ったけど、思い出せない。野島伸司だったかもしれない。

 

飲酒と運転

車椅子での初散歩は、芝公園と新橋とを往復してゆるゆると歩いた。途中、図書館に寄ってしばらく本を読んだ。図書館はバリアフリーに気遣われているようで、館内へ入り移動するのに苦労がない。

帰り道のコンビニでアルコールを買って、飲みつつ歩く。

「(押す人が飲酒してると)これも飲酒運転になるのかな?」と夫がいう。自力で運転可能な非電動車椅子なので飲酒運転にはならないだろう。そもそも乗ってる夫は飲んでないし、そこらへんの歩行者よりよほど低速で進んでいる。

 

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電車とホームの距離

GWなのもあって、翌日もお出かけした。今度は少し冒険をして、電車に乗ってみることにした。

最寄りの駅は地上階から行けるエレベーターが設置されていなくて、違う路線の改札から入場証のようなものをもらって目的の路線までいかなければいけない。だいぶ不便であることを初っ端から体感した。

車椅子で電車に乗車する時は、駅員さんに手伝ってもらって電車とホームの間に板のようなものを敷いてもらう。時々見たことがある風景だ。

どの駅でも駅員さんに声をかけたら、シュッと介助してもらえた。

 

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なめらかな日本橋

 

 JRと地下鉄を乗り継いで、日本橋まできた。徒歩だと家から半径400m圏内の生活をしている日頃の夫を思うと、ずいぶん遠くまで来た気がする。

 

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日本橋あたりはほとんど高低差がない平らな町という印象を持っていたが、車椅子を押してみると、なめらかに上下するところがある。ただ歩くだけだと町の起伏をこうして体感することはないだろうなと思いながら、車椅子を押す。

日本橋にきた目的は、貨幣博物館。入場無料で、日本の貨幣の歴史についての展示が見られる。車椅子の貸出も行っているので車椅子でも当然入場でき、2階の展示室へはエレベーターで行ける。

 

 

博物館内の資料の写真撮影NGなのが残念だったが、とてもおもしろかった。

 

人形町玉ひで

日本橋から人形町までぶらぶら車椅子を押しながら歩いて、親子丼で有名な「玉ひで」で食べて帰ることにした。

 

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www.tamahide.co.jp

 

夫はまったく歩行ができないわけではないので、比較的飲食店への入店がラクかもしれない。段差があっても入り口で降りてもらって、車椅子を折りたたんで省スペース化したあと、店先などに置かせてもらう。この日は「玉ひで」だけでなくカフェなどいくつか飲食店に入ったが、どのお店もとても親切だった。

 

車椅子で降りる階段

帰りの電車ではまさかのエレベーターのない駅で、階段の横についてる車椅子乗せるやつを初体験して、テンション上がった。(といっても私は乗ってない)

 

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地下鉄だったのでついでに、前々から「もらったほうがいいよねー」と話していた「ヘルプマーク」をいただくことに成功した。 

 

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夫のように若くて、見た目だけでは体調の悪さが伝わりづらい病気*4だと、申告しないと席を譲ってもらう機会はほぼないし、逆に優先席に座っていたら誰か他の人に席を譲ってほしいと言われることもあるだろう。

こういうマークを無料で配布してくれているのは非常にありがたい。

 

たぶん多くの人は(少なくとも年老いるまで)ヘルプマークとも車椅子とも縁のない生活を送るはずなので、何の参考になるものでもないが車椅子、人間運べて便利という感じだった。

次は一緒にどこへいこうか。

 

 

今週のお題ゴールデンウィーク2018」

*1:当然はじめて車椅子を買ったが15,900円と安く、折りたたみができて操作も軽いので結構いい買い物だった。

*2:誰も知らない - Wikipedia

*3:PiCNiC - Wikipedia

*4:クローン病 - Wikipedia

愛よりも孤独が足らない

沖縄

初めて一人暮らしをしたのは、高校3年生の初夏だった。

6月、実家が沖縄から神奈川に転居するタイミングで高校3年生だった私だけ、転校するにも退学するにも微妙なこの半年ちょっとの期間を、家族と離れ沖縄で暮らすことになった。

学校の近くにアパートを借りて、卒業まで一人暮らしの予定だったのだけど、中学時代の同級生が同居人としてすぐ一緒に暮らすようになった。といっても彼女はほとんどうちには帰ってこなくて、彼氏の家に入り浸っていたので、やはり一人暮らしのようなものだった。彼女もまた彼女なりの理由で、実家を出て自分の生活を選択した人だった。

沖縄に私を残した家族の心配を他所に、私はそれなりに青春を謳歌した。青春といってもキラキラした要素はまったくなく、学校をサボって家に引きこもっては、歌をうたい、詩を書き、本を読んで、拾った仔猫と戯れ、3万ちょっとの1Kで年端に似合わぬ諦念を持て余していた。

一人のアパートで大きな台風が直撃して停電する中、打ち付ける暴風雨の音だけが支配する暗闇で発狂しそうになったり、彼氏に殴られて血だらけで帰ってきては大粒の涙を流しながらトイレで手首を切ったりする同居人を「フランス映画の女優みたいだな」と思いながら眺めた記憶なんかが残っている。

一人なんだけど他人の人生がすぐそこにありもする、そんな一人暮らし始めだった。

 

福岡

高校を卒業すると、姉の住んでいた福岡の1Kのアパートへ引っ越した。二人暮らしを始めたけれど、半年ほどすると「もう一人で暮らせるでしょ。私ちょっと神戸にいってくるね」と言い残して姉は去り、一人暮らしになった。

お金は一人で暮らせる程度に稼いではいたけれど、料理も洗濯も掃除も、何もできなかったから、チョコチップメロンパンと紙パックのいちごミルクばかり口にしていた。

そのうち中学時代の友人が合流して、同居を始めた。

料理の好きな彼女はよく美味しいものを作ってくれた。私はと言えば、気を利かせて洗濯をしても色物と白シャツを一緒に洗って彼女に怒られ、料理しようとして「ホットケーキ失敗する人はじめて見た」と呆れられるなど、今考えれば生活力皆無のダメ人間である。そんな私を彼女はいつでも甘やかした。

彼女は誰にでもフレンドリーでよく人を連れてきたけど、私は人と会うことを嫌った。また私は歌が好きでよく唐突に歌い出し、それについてうるさいと彼女によく叱られた。いい感じの人と失敗しては「もう死ぬ」なんて軽々しく口にしたり、そんな若く軽率で無秩序な共同生活の中でうまくやっていくために、私たちは二人の間にルールを作った。

  • 勝手に家に人を呼ばない
  • 夜中に歌い出さない
  • ここでは、死なない

彼女との共同生活も数ヶ月で解散し、再度の一人暮らしを挟んたのち、遠距離恋愛中だった恋人が福岡にきて、同棲を始めた。

 

神奈川

福岡には結局7年近く住んだ。福岡を出た理由は明快で、恋した人を追って関東にいくことにしたからであった。その人は、のちの夫になる人である。

福岡から実家のある神奈川に出てきて、兄が彼女と暮らすために借りた3LDKのマンションに転がり込んだ。その部屋を借りてすぐ、兄は彼女と破局していた。

無駄に広いだけで掃除もされていない部屋たちを少しずつ綺麗にした。その頃には私も少しは生活力がついていて、掃除も料理も洗濯も、多少はできるようになっていた。

広い家で兄と私の二人暮らしに、兄の彼女、私の恋人、広島から出てきた従兄弟、飲み屋で知り合った終電を逃したあんちゃんなど、様々な登場人物を交えた生活を送ったのち、定期借家期限により解散となった同居生活から、また一人暮らしに戻った。

 

実家や兄のマンションからもほど近いその1Kのマンションが、これまででもっとも一人暮らしらしい一人暮らしだったと思う。

勤め先から徒歩3分ほどのところで、出社15分前に起きればギリ間に合う、なんて考えてるところから私のズボラはこの年代(二十代後半)になっても相変わらずである。

仕事をして、自分で稼いで、自分の部屋をもって、自分のお世話もできるようになった。ここまでくるのに10年近くかかっているけど、何もできなかった人間も10年あれば随分成長するものだと思う。

2年ほど神奈川での一人暮らしをしたのち、のちに夫となる当時恋人であった彼の転職に合わせて、京都に移り住み、そうして私たちは結婚した。

 

一人暮らしの思い出を書こうと書き出したけれど、想像以上に一人で暮らした時間よりも、誰かと暮らした時間のほうが長い。

どんなに一人で生きているようなうらぶれた気持ちでいる日にも、私の人生の近くには誰かがいて、 一緒に暮らしてくれたり、なにか美味しいものを食べさせてくれたり、励ましてくれたり、支えてくれたり、している。

今だって、どこまでいっても侘しさみたいなものを感じることはあるけれど、少し前に居間で寝そべる夫を横目に「もう私は一人暮らしをすることがないのか」とふと気づいて、非常に驚いたことがある。*1

自分はもっと孤独な人間だと思っていたけれど、こうして振り返ると私の生活には圧倒的に、愛よりも孤独が足らないと思う。

ヴァージニア・ウルフも「女性が小説を書こうとするなら、お金と自分だけの部屋を持たなければならない」 と言っているし、そういう期間がこれまで少なかったのをもったいなくも思うし、なんならこれからそういう時間を取って大事にしたいとも思う。

一人暮らしをするというのは、そんな自分を見つめ醸成する期間であり、時間なんだと思う。

 

 

自分ひとりの部屋 (平凡社ライブラリー)

自分ひとりの部屋 (平凡社ライブラリー)

 

 

*1:離婚、単身赴任、死別、などなど勿論ゼロではないと思うけど。

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