本トのこと。

ここは個人のブログだよ

子どもがわがままでいられるのは親との関係性に安心感があるから

インターネット上には基本的に子どもとのほのぼのネタしか書かないことにしているが、例に漏れず我が家の子も言うことは聞かないし、乱暴だし、めちゃくちゃ散らかすし、とにかく手がかかる。

 

 

id:hitode909 さんがツイートされていたがまさにこれで、食事中に椅子から肩によじ登ってきて肩車しながら頭を殴り続けてくるし、何度言ってもおもちゃを投げつけてくるし、抱っこされたがって全然歩かないし、毎朝保育園行きたくないとグズるし、の割に帰りには家に帰りたくないコンビニでおやつ買えとグズる。


そんなわけで日々消耗しているが、そんな話を一々ツイートしていても気が滅入るだけだし、残すならよい思い出の方がいいと思うので、愛らしいエピソードをメモ兼ねてツイートすることが多い。

ただ安心してほしい(?)が、ちゃんとこちらに余力がなく疲れ切っている時には幼子相手にブチ切れることも勿論あるし、その後に自己嫌悪で自分が嫌になることもよくある。子育てとは常に子どもに対してと同じくらい、自分という人間の小ささと向き合うことでもある。

 

先日姉宅にお邪魔する機会があった際に、同じ年のいとこ(姉の子)のおもちゃを我が物顔で使って意地悪をする子を叱る機会があったときに、姉が表題のセリフを言っていた。
曰く、3歳くらいの子どもが他人を慮ったり自分の我をコントロールできないのは当たり前で、むしろこのくらいの年頃の子どもが聞き分けがよいことがあればそっちの方が怖い、と。
子どもがわがままに振る舞えるのは、親との関係性において安心感を持っていて「親の前ではわがままに振る舞っても大丈夫」という自己肯定感を持っている証拠なので、むしろいいことなんだぐらいのことを言っていた。


本当にそれでよいという根拠がどこにあるかは正直不明だが、なんかそう言ってもらって(子の傍若無人な振る舞いは親としては消耗させられるところなんだけど)自分の子どもとの接し方や育児についても肯定してもらえたような気がして、随分気がラクになった。


気はラクになっても育児がラクになるわけではないんだけど、同じように「うちの子、マジで言うこと聞かないんだが??」と育児で消耗しているご家庭があったら、同じように多少気がラクになることもあるかなと思ったので、ブログに書いておきます。

婚活をしてみたかった話

合コンや婚活をしたことがない。したことがない、というのがなんとなく勿体ない気がして「やってみたかったな...」と時々思うことがある。
「やってみたかったのなら、やったらよかったじゃん」というのはあるが、高校時代から恋人がいなかったことがない。
「高校時代から恋人がいなかったことがない」と表現するのは何とも「性悪女」という感じがして気に入っているんだけど、なんのことはない、付き合うと恋人1人あたり6年とか7年とか長い付き合いになるケースが多く、それを高校時代から数回繰り返せば結婚適齢期になっていて、幸か不幸か結婚する機会に恵まれた、というだけの話である。

そういうわけで、合コンや婚活をする機会がなかった。
とはいえ実際やったらやったでただ精神を消耗するだけな気はしている。周りにいる合コンや婚活をしている人々を見ても、楽しいからやっているという感じではないし、同様に消耗してそうな感じもある。

自分が合コンや婚活をするとしたら、どんな感じだろうかと妄想する。普通の複数人でやる飲み会でも人数がそこそこいると「どこに向けて喋りゃいいんだよ」となるので、合コンは向いてないだろうなと思う。そうなるとマッチングアプリや婚活の方がよさそうだ。やったことがないけど、多分マッチングアプリや婚活というのは(婚活パーティー的なのを除けば)一般的に1対1なのでしょう。

ただこれにも問題がある。まず、効率が悪い。「人を探して」「出会って」「コミュニケーションを取って」「ピンとくるかどうか」を1人ずつやっていくのを考えるとだいぶ気が遠くなる。
自分の小学校や中学校時代を思い返すと、毎年学年が変わるごとにクラスだか学年だかに一人二人は好きな人がいて入れ替わっていた。40人クラスでいっぺんに男女20人ずつがいて何となく同じ教室で1年過ごしているだけで、とくに個々人について詳しくなくてもなんとなく恋が生まれるのを思うと、効率がいいなと思う。いや、別に恋の効率を上げるためにクラスをやってるんじゃないんだけど。
例えばあのクラス男女20人ずついる人間関係を1年かけて1人ずつ「はじめまして」でやっていってください、と言われたら、発生するはずだった恋も発生する気がしない。

次に、別に趣味や属性で繋がりたくない。昔婚活サービスのサポートの仕事をしていたことがある。もううろ覚えだけど、その時の会員さんのプロフィール項目は大体「居住区、年齢層、職業、年収、趣味、自己紹介、結婚後の希望......」みたいな感じの内容だった。
恋愛対象かどうかに関わらず、人と出会うほとんどの場合に、相手の詳細な属性や趣味を事前に知ることはないし、知ることがあればそれは何となく自分の中にある「こういう属性の人はこういう人」みたいな経験則でのカテゴライズをする材料になるだけなので、ノイズにしかならないんじゃないかと思う。

例えば事前に「趣味はサッカーとアウトドアです」って言われたら、ああ多分友だちとか沢山いて、人付き合いがよくアクティブでコミュニケーション力とか高そう(私とは全然違う人種だな)というイメージでジャッジしそうだ。ただこれはその人の一面に過ぎないので、違う面でめっちゃ仲良くなれるかもしれない。なので趣味や好きなことの情報は、そういう機会のノイズにしかならないと思っている。

大体にその人の好きなものが自分も好きだったとして「それが何なんだ」という感じがある。私は読書と音楽と文章を書くのが好きだけど、同じ趣味の人がいて読んでる本や聴いている音楽が被っていたからといって、だから何なんだ?
どっちかというと嫌いなことを語って欲しいんだよ私は。そっちの方がよりその人自身のことが分かりそうな気がするし、経験則的なカテゴライズも難しい。
試しに私の「こういうのが苦手」の一部を挙げてみよう。

ケチな人

人付き合いにおいて、1円単位で割り勘したいタイプの人とは一緒にいて疲れそうである。きっちり割り勘というのは一見合理的に見えるけど、人間同士の関係性は貸し借りでできていて、お互い多く払ったり払われたりといったことで関係性をつないでいる、といった話が負債論にも書いてあるという話をたしか聞いた記憶がある。

恋人や友人同士のプレゼント交換や、お中元やお歳暮文化とかもそうだし、普段のデートや食事などでのやりとりもそういう側面があると思う。(男女問わず、自分が多めに出すのは個人的に厭わないし、ギフトを贈るのも好き)
金輪際付き合いたくない人には借りを作りたくないので奢られたくないし、よほど仲が良いとかの合意がない人付き合いで、安さを優先した居心地の悪い店をチョイスされたり、1円単位の割り勘をされるのは、一緒に過ごす時間を快適にするという価値を低く見積もっていたり、次につながる一見非合理的に見える合理性を選択していないことになる、と私は考える。

束縛する人

これは経験的に自分が苦手な行為であると自覚のあるもので、例えば自分で稼いだお金の使い方について「似てるのもってるじゃん、それを買うのは無駄では?」みたいに言われたり、行動について制限されたりするとめっちゃブチ切れるというのが分かっているので、どのような間柄の人であっても自分の行動を制限・管理してくる過干渉な人間とは合わない。

「絆・仲間・感謝」のような世界観

うちの母親が割とこういう世界観な節があるんだけど、答えを一方向にしか持ってない危うさみたいなのを感じるのと、正論(のようなもの)で殴るというか、同調圧力的な何かを感じで居心地の悪さを感じる。

絆は当然ある方がよい、仲間がいるというのはいいことだ、人への感謝は大事だよ、というのは他者から言われたり、そういう雰囲気を醸成・包囲されて感じるものでなく、絆以外で繋がることもあるだろうし、仲間意識があるということは逆を返せば排他的にもなり得るし、感謝ぐらい内発的に自由に感じさせてくれとか、そういう感じ。
これは昔から思うんだけど、人生における各種同調圧力について「そうは思いません」という機会が多くて、戦時中に自分が存在していたら絶対「非国民」って石を投げられるタイプの人だったろうなと思う。日露戦争時に君死にたまふことなかれと詠んだ与謝野晶子とは多分マブダチになれる。

 

そういうことを考えていたら、多分世の中に自分がしっくりくる婚活サービスやマッチングサイトはほとんどないんじゃないかという気がしてくる。
なので仮に今自分が独身で、誰かと出会いたいと思ったら、出会い系各種サービスを使う前に、こういうはてなブログをいくつか書いて「自分こんな人ですけど誰か食事にでもいきません?」ってTwitterに投げたり、逆にインターネット上でなんとなく興味深いことを言っている人に「今度食事にいきません?」って逆ナンしたりしそうだなと思う。

思えばそもそもに、人に口説かれたくないというのがある。
人を口説くほうがおもしろいし、そういうおもしろい方向へのアクティブさが異常にあるので、特定の相手がいなければ異常なアクティブさを発揮していろんな人と出会いそうと思うけど、ただしそれは必ずしも恋愛前提じゃなくてよいと思っているので、おもしろい人間と出会いたい欲が高いのだと思う。自分の場合、その先の結果として恋愛がある。

こういうのを考え続けていくと、自分でそういうサービス作ればいいんじゃない?となる。IT企業に勤めていて、私はプランナーをやっているのだし、また仮にIT企業に勤めていなくても夫(プログラマ)を説得して一緒にやるという方法もある。
私が婚活をするとしたら、「男性」に出会いたいわけではなく、「女性」として求められたいわけでなく、人生を通して「出会えてよかった」と思える人間と出会いたいのである。
ほんとはこういう人が結構多いんじゃないかって思ってるんだけど、非国民なので世間一般とズレている可能性は大いにある。

 

追記

自分はたまたま使う機会がなかったけど、今ある婚活やマッチングサービスの形式で出会うのむずくない?自分がやるの想像してもむずい上にしっくりこないし、そう思ってる人多いと思うから自分がしっくりくるサービス作りたい的なことを思った、という話なんだけど、いけ好かない書き方だからか辛辣なブコメが多いですね。

私はそもそも結婚自体への期待が低くて(結婚してる人間が無条件で幸福とか勝ち組とか良いとか諸々思っていない)、今は結婚してるけど離婚や死別などあらゆる可能性があると思っているし、その後にパートナーを探したいと考える可能性もあるし、大体にパートナーがいても婚活をしてみたかったと妄想するブログを書くのが悪いこととは思わないんだけど。

今日昼に同僚と会話をしていて気づいたのが、自分に「こういう人が好み」というのがなくて「好きになった人が好きな人」という感じだから、趣味や属性などのプロフィールから出会う形式が合わないんだろうなと思った。

現在の夫と恋人になるまで2年間は友人関係だったし(結婚するまでそこからさらに6年くらいかかっている)、恋愛関係や結婚に発展する速度って人によっても異なると思うから、いろんな形式や前提の「婚活」や「出会い」があってよさそうだけど、(自分の筆力の問題ではあるけど)パートナーがいる恵まれた人間が婚活してみたかったとか書いてるのがいけ好かない、みたいな感じが多くて「自分ならこういう出会い方がいい」みたいなコメントがついてないのは少し残念だなと思う。

タダで動かない

子どもの頃に母から仕込まれたしつけの一つに「タダで動かない」というのがある。

どういうものかというと、例えば食後食卓から移動するときに、手ぶらで移動するのではなく食べ終えたお皿を持って移動するついでにキッチンに下げる、居間でテレビを見ている横で洗濯物がたたまれていたら部屋に行くついでにそれを持っていく、といったように、自分の動きの中で無駄な動きを有益な動きに変えるよう教わった。

大人になってとくに仕事をする時に、自分の仕事の仕方にこの「タダで動かない」精神がよく出ているなと思うことがある。

何か一つの仕事をする時に、その周辺を見渡して、その前後の動きがより有益だったり効率的だったりするよう考慮した動きをする。一つの仕事をするとき、それは時として点になりがちなんだけど、タダでは動かんぞという精神でそれを点ではなく蜘蛛の巣状に倍増させようとする。

多分いろんな仕事においてそういう「点から蜘蛛の巣状」にできるポイントがあるので、「蜘蛛の巣状にする」という意識があるかどうかでも異なるだろうし、「どうやったらより大きい蜘蛛の巣状にできるか」という蜘蛛の巣の作り方もきっと人によって違うと思う。

かくして今日も「タダでは動かんぞ」というある種の貧乏性を発揮しながら、仕事をしている。

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