頑張りすぎる系の私たちは

過去に失敗した経験を思い返すと、中学3年生のマラソン大会のときの体験が真っ先に思い浮かぶ
わたしは運動経験がほとんどないわりに、昔から運動神経がよく、走るのが早い。
 
元来まじめな性分でないため、体育や学生時代のマラソン大会をちゃんと走ったことがなかったけれど、中3のときに「最後のマラソン大会だし、本気を出したらどのくらい早いのか試してみよう」と一度だけ、本気で走ってみたことがある。
 
準備体操もそこそこに、友だちとふざけながらはしゃいでいると、スタートのピストル音が鳴り響き、わたしは最初から飛ばし気味に走り出した。
そのペースに、すぐに周りの人たちは脱落していき、コースの半分を過ぎた頃にはぶっちぎりの一位だったけれど、4分の3ほどきたところで自分でも驚くほど急激に体が動かなくなり、パタリと動きが止まってしまった。
あと少しの距離を力を振り絞りながら亀速で前進していると、後からやってきたバスケ部の子に抜かれ、数分後にはまた別のバスケ部の子に抜かれ、バレー部の子に抜かれて、結局私は4位だった。
 
表彰された上位10位がわたし以外全員運動部のひとで埋め尽くされていて、その中に吹奏楽部の自分が1人食い込んでいたことは、今でも運動神経がよかった話をするときに持ち出す話の一つだ。
 
このマラソン大会で印象に残っているのは、わたしが運動部でもないのに4位だったということではなく「考えなくがむしゃらに走っていたら突然途中で体が動かなくなった」という経験の方で、運動経験のないわたしは「とりあえずひたすら全力で走ればいいのだろう」と思っていた。けど、結論から言うと準備運動や自分のスタミナの問題、ペース配分などのバランスを考えて走らないと当然効率が悪く、よい結果が出ない。
 
この経験はマラソン以外の部分でもしばしば思い当たるところがあって、「ひたすら全力で頑張ること」が「成果が出ること」とイコールじゃないケースはよくある。
これは単に「頑張り方」の問題だけでなく、頑張れない量や内容であったり、頑張るベクトルを分散させる必要であったり、力の抜き方の問題もあって、何をやるにしても遊びがないとどこかでうまく動かなくなってしまう。
 
「頑張る」というのはとてもかんたんなことで、頑張っていれば自分がなにかをしている実感があって、だからこそかんたんに頑張り続けられてしまう。 
何かに集中しすぎて考え方が凝り固まったり、「頑張っている自分」的美徳信仰で余裕がなくなってしまったりすると、自分だけでなく周りもバテてしまうので、「頑張ることが当然よいこと」みたいな変な美学を見出さず、適宜手を抜いて糸を張りすぎないようにチューニングしないといけない。
 
仕事でもいいしプライベートでもいい。後からバテてしまうような走り方をしていないか。
いまだにうまい走り方を知らない私はそうやって、時々自分の走り方に無理がないか問いかけている。

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