「無意識にしている選択」の積み重ねが自分を作る

SK-IIの特別お題で「『選択』と『年齢』」に関する体験エピソードを募集しているので、このお題に沿って、私なりの「『選択』と『年齢』」についての話を思い出しつつ書いていこうと思います。

急いで大人にならなくてもいい

初めて「年齢」のようなものについて意識したのは、中学に入ってからだったかもしれない。

十代も中頃になると、周りの友だちは急激にマセていって、みんな早く大人になろうと背伸びをしていた。いわゆる「お年ごろ」というやつですね。

誰々はピアスをあけたらしい。あの子とあいつは付き合ってるらしいよ。家を抜け出して公園で夜遊びした話もあったし、大人には言えないひみつの話もあったかもしれない。

私はそんな友だちを横目に不思議顔で、(子どもの時代なんて今しかないのだから、そんな急ぐことないのに)と思っていた。

人生、長いのだから、早いうちから楽しいことを全部しちゃうと、きっと残りの人生つまんなくなっちゃうのね。楽しみは取っておかなきゃ。

思えば、それぞれが意識するかしないかにかかわらず「一足先に色んな経験をしてる『オトナ的私』へのあこがれ」のような観念が、その年代の共通認識として、存在していたのだと思う。そしてやはり意識するかにかかわらず、結果的に私が選択したのは「急いでなにかになることをしない」ということだった。

そういう共通認識として空気のように存在する観念は大人になった今でも、ごく現実的な形に変わりそこらじゅうにあるのだと思う。この立場の人は / この年代の人は / こういう立ち振舞を期待されている / こういう人間であらねばらない、といったような。

そうして同じように意識するかしないかにかかわらず、少なくないシーンで当然のように「当たり前らしい観念」を選択させられているのだと思う。

 

若さしか取り柄のない人間にはなりたくない

二十代に突入して間もない頃、職場で結構仲よくしているオネエサンがいた。

正直に言うと「オネエサン」というより「おばさん」と言ってよい風貌で、2〜30代の多い職場だったので年齢的にも同僚の中でだいぶ上の人だったけれど、サッパリとした気持ちのよい性格の人でよくバーであった面白い話やなんかを話してくれた。

オネエサンは喫煙者で、当時ヘビースモーカーだった私は喫煙所で同じく喫煙者である同僚たちと、昼休みに世間話なんかしながら一服するわけである。

下戸な私にとっては、オネエサンが話す「飲み屋でのおもしろ話」自体が自分の知ってる世界とは異なるところにあって、遊び上手な人でもあったので話していて非常に楽しい人だった。

 ある日、オネエサンのいない日に喫煙所で同僚が「あのオバサン、いい年していつも若い男相手にはしゃいじゃって。自分の年考えろっての」という内容のことを言っているのを聞いた。

私より2〜3つ年上のその同僚たちの言葉を聞きながら、若さしか取り柄のない人間にはなりたくねえなと思いながらタバコをふかしたことを鮮明に覚えている。

オネエサンは美人でもなかったし年相応に中年太りもしていたけれど、ウィットに富んだ話ができて、話題の引き出しも多く、なにより話していて気持ちのよい人だった。

彼女の陰口を叩いていた同僚たちは、その陰口の語彙力のなさと安直な発想からも思慮が浅いことは明白だし、面白みや憧れを感じる点も何一つなかった。

「若さ」の中にある価値も確かにあるけれど、「若さしか取り柄のない人間にはならない」と決めたその時の選択は、今の私を大きく形成していると思う。

 

「もうこんな歳だから」に耳を貸さない

20代も後半に突入し、アラサーの仲間入りをした頃、大学に入学した。

通信教育過程の大学で、入学した理由はいくつかあるけど、正直に言うとそこまで深い考えがあって始めたことではない。「年齢」に沿わない「選択」という意味では、これも私の選択したことの一つと言えそうだ。

私の大学入学に父親はあまりいい顔をしなくて、元々学業よりも実学主義な成り上がりの人なので「女が知恵を持つとロクな事がない」とか「今さら大学なんか行って何になる」などのご意見を頂戴したけれど、別に父上の価値観は当方では分かっていることで、身内であっても固定観念というものによって悪びれる様子もなく平然とそのようなことが言えてしまうので、父上のような子どもに適切なアドバイスができない大人にならないように見聞を広げるため大学へ行くんですよと、親切な私は申し上げた。(ちなみに父娘の仲はそこそこ良い。)

「他人の意見を聞く」のは大事だけど、「他人の意見を聞かない」というのが大事なこともあるんですね。

通信教育の特徴は通学とは異なって、社会人になって学びたいひとが、自分のお金と時間を使って自らの意思で入学するケースが多いというところで、年代も各々のバッググラウンドも幅広い。

私の通っている通信教育過程では、20代は少数派で、4〜50代や上は自分の祖父母と同じくらいの年代の方も多く、学ばれている。

これはほとんど一例だけど、大学に入るという結構ハードルのある行動も、少なくとも「年齢」という壁はなくて、いくつになっても学びたいという気持ちがあれば、今この瞬間も門戸は開かれている。

年齢制限のある試験を受けたかったとか、体の自由がきかないほど老いてから「海外旅行にもっと行っておけばよかった」とか、年齢によってできないことはないとは言わないけれど、周りのいう人の「今さら」とか「こんな歳」なんてものは何となくで言った根拠のないことも多いし、さらに他人だけでなく気を抜くと自分自身でかんたんに口をついて言ってしまう「もうこんな歳だから」についても耳を貸してはいけなくて、自分自身で足枷をしているだけのことが多い。

「結婚」とか「転職」みたいなライフイベントの中でも大きめなイベントでの「選択」もあるけれど、個人的にはこういう日々「無意識にしている選択」の積み重ねが自分を作るのだろうと実感されるところなので、これからも気を抜かず日々に転がる小さな選択を重ねていきたいと思うところです。

 

 

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