形見になるようなものを身に着けてと私は母に言った

母はほとんど自分にお金をかけることをしない人だった。

苦労人らしく貧乏性という言葉がぴったりの人だが、それでいて格好はいつも草臥れた感じがない。

「みてみてこの指輪! 教会のバザーで買ったんだけどね...幾らだと思う? 百円、なの!そんな風に見えないでしょう? うふふ」という具合で、何事にもこれという欲もなく、どんなものにも楽しみを見つけられる人だ。

 

川端康成の作品に「片腕」という短編小説がある。ある男が若い娘から片腕を借りて自分のアパアトメントに持ち帰り一夜を過ごすという官能と夢想入り交じる話であるが、その出だしは、娘が男に自分の片腕を貸す会話から始まる。

「あ、指輪をはめておきますわ。あたしの腕ですというしるしにね。」と娘は笑顔で左手を私の腕の前にあげた。「おねがい......。」

左片腕になった娘は指輪を抜き取ることがむずかしい。

「婚約指輪じゃないの?」と私は言った。

「そうじゃないの。母の形見なの。」

小粒のダイヤをいくつかならべた白金の指輪であった。

「あたしの婚約指輪と見られるでしょうけれど、それでもいいと思って、はめているんです。」と娘は言った。「いったんこうして指につけると、はずすのは、母と離れてしまうようでさびしいんです。」

この短い話を読み終えた後にも、なぜかこの指輪のシーンだけが深く私の心に残った。というのも、私には母から貰い受けるような形見となる何かがあるだろうかと、ふと思われたからである。教会のバザーで百円で買った指輪では、あまりにさびしい。

私も母と似て、自分のためにお金を遣うことが得意でない。だから、どうしても自分を後回しにしてしまう母の特性がよく理解できる。

この短編を読んでしばらく後、母に「形見になるような、よいモノを買って身に着けて」と言った。「川端康成の小説でね、こういう話があって。母の形見を身に着けているシーンがあるのだけど。お母さんから貰い受けるものが何もないのではさびしいから」。

その話をしてから、母はよく物を買うようになった。

元々仕事をしており、お偉いさんとの会合にも顔を出す機会の多い人なので「いい年齢だし、やっぱそれ相応の物を持っていないとね〜」と一緒にショッピングへ付き合うことも多いが、「ちょっと高いかなぁ...でもこれ買っても、ゆくゆくはミネコのものになるからね!」とまるで買う理由を自分に納得させるようにつぶやいて買う姿には、我が母ながら微笑ましくなる。

ゆくゆく自分が貰うかどうかはさて置いて、自分の身に着けるものに興味を持ち、一緒に買物へ出かける機会が増え、自分のための人生を謳歌して生き生きとしている母の姿を見ると、思いもよらず「こう生きてよいのだ」と肯定されるような、安堵する気持ちにもなる。

母にはこれからも、形見にしてもよいと思えるような良いモノを身に着けておいてもらいたい。

 

眠れる美女 (新潮文庫)

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