自己紹介

「ほら、私って毒舌じゃん?」みたいな同調を前提とした自己申告が含まれる会話が苦手だ。

第一に、私が実際はどう感じているかなどお構いなしに、当然のように同意を求めてくるその図々しさ。百歩譲って、私がその人のことを毒舌だと思っているならまだ救いがあるけど、まったく毒舌だとも何とも思っていない場合なんかは最悪だ。

第二に、その自己申告が多分に「その人がそのように見られたい自分」の自意識が漏れた結果だという微妙な波を私が受信してしまうからだと思う。この自己申告型のコミュニケーションは免罪符的な役割をあらかじめ期待されている。

もちろん、この手の自己申告すべてを否定するものではなくて、時々そのような微妙な波を受信するというだけの話だ。

この感覚に関連するのだろうとこの頃考えているものに、自己紹介への苦手意識がある。

 

どうやら私は、自己紹介をするのが苦手なようだ。

自己紹介という形式で私を切り取る時、「私の中のどのような部分を切り取って、私として私が紹介するか」という自己選択が迫られる。
その自己選択そのものに「私がどのような私として見られたいか」というある種の自己の型化と自意識の発露を感じるし、どの部分を切り取って紹介する私も、私自身が大して私のように感じられないということもある。

そもそも形式化された自己紹介の形が、その人を知るために本当に最適なのかという疑問もある。

質問が答えを規定する。

あらゆる場面で感じるこのことは、当然のように形式的なこの自己紹介にも及ぶ。

その自己紹介が適切であるかとか、実態に沿っているかとか、きっとそんなことなんてどうでもよくて、だいたいの人となりを知ることが必要なので、とりあえず糸口としてどんな人か把握しやすいよう略歴的な自己紹介を行うんだってことは理解している。

そう考えると、そもそもさほどその手法を使って自分のことを知ってほしいと思っていない自分の不親切さばかりが浮き出てしまって、申し訳ない気持ちにならないでもない。
略歴を3分話すよりはこんな話をしたほうがよほど「私」っぽいけど、自己紹介としてやるにはおよそ不向きな話だし。

そんなわけで、これからもなるべく自己紹介をしないで生きていきたい。

 

Copyright (C) 2011 copyrights. 本トのこと All Rights Reserved.