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できればレディのように生きたい

「僕は『メシ』とか『便所』といった言葉遣いをあまりしないね」という話を、昔したことがある。

母が躾にうるさかったのもあってか、私は言葉遣いやちょっとしたマナーや所作などについて(自分ができるかはさて置かれるわけだけど)敏感なところがある。

「たしかに。うちで両親があまりそういう言葉遣いをしなかったからかもしれない」と僕は言った。

同じことを言うのでも『メシ』と『ご飯』では、響きが随分違う。『お腹空いた』と『腹減った』でもそう。『トイレ』『便所』『小便』『御手洗』の呼び方でもよい。

『お前』という呼称も好まないし、命令口調や、語尾の乱暴なのも、気になるので私は極力遣わない。

若いときはいきがったり、恥ずかしかったりがあって、乱暴な言葉を遣うのが仲間内での共通の空気みたいなところもあったけれど、言葉は無意識に癖となり、自分の身に染みつくものでもあるので、気をつけたい。

 

先日、下町風俗資料館で一人、長屋の展示を見ていたら、二十代らしい女性集団が大声で話しながら館内を歩いていた。

「お前ぇ、(展示品に)勝手に触ってんじゃねーよwww」

「これ触っていいんじゃねーの、書いてあるしwww」

「マジか、触っていいのかよ、すげーなwww」

別にお喋りをしながら見て回るのは結構(実際、別グループの関西カップルも関西弁で喋りながら回っていた)なのだけど、いやに下品に響く会話の声に、仕草振る舞いの中でも言葉遣いというのは一番目立つのだなとこの時に思った。

 

例えば食事の際の、寄せ箸や、肘をつくのはマナー違反と言われているけれど、テーブルが異なればさほど目につくものでもない。

しかし、いわゆるクチャラーとか、騒がしいのは、目が向いていなくても否が応でも耳に入ってくる。

視覚情報というのは意外と見えている範囲が狭いので、目につくものとつかないものがあるけれど、音や匂いの類はどこでどう過ごしていようが、あちらからやってくるので避けようがない。

 

下町風俗資料館のできごとがあった同日に、偶然「マイ・フェア・レディ」を観る機会があった。

マイ・フェア・レディ」はオードリー・ヘプバーン主演の1964年の映画で、イギリス社会を舞台に、下町の粗野で下品な女をレディに仕立て上げられるか、言語学者が友人の大佐と賭けるところから話が始まる。

イギリスでは階級ごとに話す言葉が異なり、とくに昔の階級間の断絶の甚だしかった背景もあって、母音の発音から始まり、話し方について徹底して仕込んでいく。

仕草振る舞いの中でも、所作などよりも言葉がなによりその品格を左右する内容が、(勿論、映画自体も素晴らしいものだったけれど)自分の中でタイムリーだったため、違った意味でも興味深く観ることができた。

 

主人公のイライザは、言葉を身につけていくうえで、徐々に「自分」の考え方についても獲得していく。

あれほど分かりやすく、遣う言葉で考え方まで影響するものなのか、ここではこれ以上取り上げないけれど、発する言葉で周りの世界が変わることは充分にあることだと思う。

日本ではイギリスほど階級の断絶もないし、言葉遣いで貧富の差が分かれるわけでもないけれど、どのような言葉を遣うかを選択できるのだから、できればレディのように生きたいと思ったわけでした。

 

 

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