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トランシーバーと少女

よく帰宅途中の電車のなかで、トランシーバーのことを思い出す。たいした話じゃない、小学生のころ、とてもトランシーバーが欲しかった。

近所の公園で友だちと遊んでいるとき。空き地の草むらで伸びた草を編んで秘密基地を作っているとき。タオルケットを掛けた押し入れの中に卓上ライトを持ち込んで簡易テントを作ったとき。ことあるごとに「トランシーバーがあったらなー、お友だちと秘密の通信ができるのになー」と考えていた。

当時も普通にトランシーバーはあって、大人のひとが使う黒い業務用(?)っぽい感じのやつをホームセンターやなんかで羨望の眼差して見ていたのを思い出す。

おもちゃ屋さんにも(おもちゃの)トランシーバーは売っていて、だいたい50mだか100mだかくらいの範囲で通信できるというものだった記憶がある。数千円で売ってたけど小学生の自分に買えるはずもなく、けっきょく誕生日やクリスマスなどのイベントにも買ってもらう機会はなかった。

トランシーバーがあれば、お友だちと公園で待ち合わせをしたり、鬼ごっこで計画的に逃げたり、(仮想の)敵対勢力と戦うための情報作戦のやり取りを秘密基地で行ったり、おうちでもこっそりおしゃべりができるのにと考えては、わくわくした。トランシーバーは私にとって、ドラえもんが出す道具みたいなものだった。

 

「あたい大きくなったら絶対トランシーバー買って、レナちゃんとか、まゆみとかと秘密の通信する」って、思ってた。

帰宅途中の電車のなかで、このトランシーバーのことをよく思い出すのは、他人がスマホを使う光景にもっとも出くわす場所だからだと思う。当時の私(だけじゃないその他大勢にとっても)には想像つかないくらい、便利になった。

高校生のときに初めてケータイを持ったけど、そのときにはまだ周囲の友だちはケータイをあまり持っていなくて、けっきょく「秘密の通信」とはいかず自宅電話にかけたりしていたので、少女のころのときめきをケータイに感じることはなかった。

いまの小学生は、私がトランシーバーに感じていたときめきをスマートフォンに感じるのか、興味がある。(って別にスマホに限らなくてもいいんだけど)

会話をするだけでなく、テキストや画像のやりとりもできるし、ゲームをしたりカメラや動画などいろんなアプリを使うことができる。

でもきっと、私のずっと上の世代のひとが、お友だちと連絡を取るのに(家の)電話でやりとりなんてしなかったのが私たちにとってはできるのが当たり前だったみたいに、いまスマホがあるのが当たり前だから、当たり前のものとしてそこにあって、とくべつな何かを感じるわけではないのかもしれない。

とはいえ私にしたって、仮にトランシーバーを当時買ってもらっていたとして、想像していたようなときめきと使い方を飽きずに継続してしていたか考えれば、疑問が残る。(子どもというのは往々にして、飽きっぽいものだ。)

そういう「何にときめくか」みたいなものって、そのときのテクノロジー(って大きい括りにしてしまってよいのかいささか疑問だけど)の標準でも変化するところがあって、現代に生きる私たちのときめきはきっと、mixiの「足あと」通知だったり、Twitterの通知だったり、ブログのスターやはてブ通知だったりするんだけど、こう考えると私がトランシーバーでやりたかった「だれかと限られた特別な関係性でつながりたい」という欲求の部分は、意外と変わらないんだなぁと思う。

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