正岡子規のお墓参りと田端文士村記念館へ行ってきました

九月十九日の正岡子規の命日を前に、子規の墓がある田端は大龍寺に、お墓参りにいってきました。

作家の命日には「桜桃忌」(太宰治)や「檸檬忌」(梶井基次郎)のように、その作家の作品に由来した名がつけられていますが、正岡子規の命日は彼の絶筆三句(以下)にちなみ「糸瓜(へちま)忌」(または雅号の一つを取って「獺祭忌」)と呼ばれております。

 

糸瓜咲て痰のつまりし佛かな

痰一斗糸瓜の水も間に合はず

をとゝひのへちまの水も取らざりき

 

旧暦の八月十五日、中秋の名月の晩に取った糸瓜の水は薬になるという言い伝えがあったそうです。これらの句が九月十七日に詠まれていることを思うと、なんとも言いがたいものがあります。

「桜桃」や「檸檬」に倣って正岡子規で果物を連想すると「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の柿が真っ先に思い浮かぶ分、「柿忌」じゃないんだ……と思いますが、糸瓜忌のほうが語呂もよいですね。

 

大龍寺はJR田端駅北口から徒歩八分。

大龍寺に向かう途中、寺のすぐご近所のお宅に、まだ青くはありますが丁度柿が生っており、粋なお出迎えという感じがしました。

 

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真言宗大龍寺。

 

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門前に「子規居士墓所」の石碑。

 

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門をくぐり、本堂の脇を左に入って行くと、裏側にある墓地へ抜ける道があります。

墓地のそう奥側ではない左隅に、正岡子規(正確には子規以外の墓も同所にあり、右が母八重、左が正岡氏累世墓、中央に子規)の墓があります。

ちなみに墓石の「子規居士之墓」の字は、陸羯南正岡子規が新聞記者として働いていた新聞「日本」の社主)の筆跡です。

 

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墓の横には糸瓜をあしらった墓誌銘碑があります。以下内容。

 

正岡常規 又ノ名ハ處之助 又ノ名ハ升 又ノ名ハ子規 又ノ名ハ獺祭書屋主人 又ノ名ハ竹ノ里人 伊豫松山ニ生レ東京根岸ニ住ス 父隼太松山藩御馬廻加番タリ 卒ス 母大原氏ニ養ハル 日本新聞社員タリ 明治□□年□月□日没ス 享年三十□ 月給四十圓

 

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墓誌に月給の記載があるのが面白いですね。病と戦いながら新聞「日本」の記者として給料をもらい、俳句に新風を吹き込むという自分の仕事をし生を全うしたという自負の表れでしょうか。

正岡子規の墓は田端にありますが、彼が住んでいたのは根岸でした。その根岸には消失を経て再建された子規庵があり、訪れることができます。(今回は時間の都合で諦めました)

 

 田端文士村記念館

明治中期に東京美術学校(現東京芸術大学)が上野にできると、芸術家志望の若者が田端に住むようになり、また芥川龍之介が田端に住むようになってから、多くの文士がそこに集まるようになったのが田端文士村の始まりだそうです。

田端駅北口すぐのところに、田端文士村記念館があり、田端に住んだ文士たちの歴史の一端を見ることができます。

 

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開館時間:10:00〜17:00(展示ホール入館は16:30まで)

休館日:毎週月曜日、祝日の翌日、年末年始(その他臨時休館する場合もあり)

入館料:無料

 

 

中は然程広くなく、展示品もそう多くはありませんが、正岡子規芥川龍之介をはじめ、田端にゆかりのあるさまざまな文士や芸術家の展示を見られます。

館内撮影禁止なので写真はありませんが、展示品のなかに「田端に関係した文士の俳句・短歌」を紹介したコーナーがあって、そこで気に入った句があったので少し紹介します。

 

飯食ひに ござれ田端は 梅の花(芥川龍之介

幾たびか 子等とわが行く 寺の中 今日も子規居士のみ墓にしゆく(五味保義)

 

田端文士村界隈は、文学散歩をするにも親切で、歩いていると色んな文士の旧居跡案内があってオススメです。

 

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文学の秋、田端で文学散歩をしてみるのはいかがでしょうか。 

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