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便利さは万能ではない

母とファミレスでお茶をしながらオススメのスマホアプリを教えていた時に、なんとなく「お父さんやお兄ちゃんもスマホにしたら便利なのに」という話をした。

父と兄はそれぞれ会社の代表と役員をしていて、二人とも忙しい人だから、スマホにした方が便利だと思ったのだ。

うちでは母と姉と私がスマートフォンを使っていて、父と兄と弟は所謂ガラケーを使っている。(家族内できれいに男女で分かれているのがおもしろい。)

母から返ってきた答えは、私にとって意外でありまた非常に理解できるものだった。

 

「お父さんもお兄ちゃんも、仕事で電話での連絡をとにかくよくするから、ガラケーだと画面見ないでもボタンの感覚で電話ができるけど、スマホは画面を見ないと操作できないから不便みたいなんよね」

 

私は彼らがどのように携帯電話を使っているかをよく知っている。たしかに一日中ひっきりなしに電話をしていて、兄なんか画面をろくすっぽ見ないで、かけたい人に電話をかけている。

スマートフォンでも電話はできるけど、それはもはや電話をするためのツールではなく、さまざまなことができる中に電話があるという体である。そうしてスマートフォンで頻繁に電話をかけたいかと問われたら、私は正直かけたくない。

スマートフォンなら電車の乗り換え情報をわざわざ印刷しなくてもいいし、見知らぬ土地で迷子になることも少ない。メモや予定管理もできるし、音楽だって聴けて、パソコンのメールもチェックできる。

そう思ったけど、その便利機能は彼らにとっては一ヶ月に一、二度使う程度のもので、重要なことではない。メモや予定管理は手帳でやるし、TwitterアプリでネタツイートをRTすることも、ランチ写真をケータイで撮ってWebに上げることもしない。

私はスマートフォンはとても便利なものと思っていて、便利だから薦めたいという気持ちから父や兄がスマホを使うといいなと思ったけれど、なんだかそれは驕りのような感じがして、すごく恥ずかしくなった。

スマートフォンが便利なことに変わりはないと思う。正確に言えば、使う側のニーズと使い方なのだろう。私はスマートフォンの何をそんなに便利に思ったのだろうと自分のiPhoneを眺め、そして自分がよく使うアプリを見返してみた。

TwitterFacebookYouTubeAmazon、Sumally……どれもスマートフォンでなければいけないというものではないし、スマートフォンを「便利」と呼ぶに相応しい使い方をしていないような気がしてきた。

勿論便利じゃないと言いたいわけではなくて、都内へ出るときの乗換情報やGoogle Maps、仕事やプライベートで重宝してる辞書アプリ、カレンダー、通勤電車内で活躍するはてなブックマークアプリや電子書籍リーダーなんかがあるわけだけど、少なくともこれらは父と兄には当てはまらなかった。

こういうことは何もスマートフォンに限らなくて、逆を言えば元々把握していなかった友人の誕生日をFacebookの通知で祝えたり、流したくもないタイミングで流れるトイレに遭遇した時の心境を考えれば、これも誰かにとっては便利なのだろうけれど、私には当てはまらない便利のケースと言えるかもしれない。

私は便利さは絶対的なものであって、疑いようのないものだと思い込んでいたけれど、便利さというのは万能ではないのだということを知った。

便利さとは、一体なんなのだろう。

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