愚妻

「結婚してなにか変化はありますか」

久しぶりに会った友人夫婦との会食の席で、そんな質問をされた。

「んー、そうですねぇ。彼女だったときは、彼女とはいえ他人な感じがしましたが、妻になると他人ではないというか、自分の半身のような感じがします」

付き合いが長いので夫婦になったからという理由で変化があったようには思わなかったけれど、どうやらそれなりの変化はあるらしい。

「なるほど確かに。『彼女が病気なので会社休みます』とは言いづらいけど『妻が病気なので会社休みます』というのは言えるしね。公認というか」

区役所で夫の住民票取るのも妻だとそういえば楽だったなぁと思いだした。

「あと、彼女が妻になってからは、妻を褒められるとまるで自分が褒められたような気がして『いや、そんなことないですよ』って言います」

「え、そうなの」

ちょっと残念そうに私は言う。

「妻は半身であって、妻を自慢するのは自分の自慢話をするのと同じだって武士道でも言ってるでしょう。あまり褒められた趣味じゃないからね」 

 

夫もしくは妻が他人に対しその半身のことを、

善き半身か悪き半身かは別として、愛らしいとか、

聡明だとか、親切だとか何だかと言うのは、我が

国民の耳にはきわめて不合理に響く。

自分自身のことを「聡明な私」とか、「私の愛らしい

性質」などと言うのは、善い趣味であろうか。

我々は自分の妻を賞(ほ)めるのは自分自身の一部を

賞めるのだと考える、しかして我が国民の間では自己

賞讃は少なくとも悪趣味だとみなされている。(武士道)

 

そう言われるとなるほどいいこと言ってる気がする。さすが五千円札である。

こんなふうに夫が自分のことを半身だと思ってくれていることに妙なこそばゆさと嬉しさを感じたけれど、私はどうだろう。

私はよく夫自慢をする。夫とは逆で、私は夫が恋人であった時代にはほとんど他人に自慢するようなことはなかったけれど、夫になってからよく自慢するようになった。

これには理由があって、母の言葉が大きい。

「私ぐらいの年代になると、みんな旦那さんの愚痴ばっかなのね。それで聞いてみると、大したことない。家のローンがあるのに無駄遣いがどうだとか、帰りが遅いだとか、子供の進路に無関心だとか。大体その旦那さんだって、無理やり結婚させられたかっていうとそうじゃない。自分で選んで連れ添った旦那さんを悪くばかり言うのは、自分の見る目がないって言って回るのと一緒でしょう。私はお父さんが大好きだし、そりゃあ家のことは得意じゃないけど仕事は人一倍してるでしょう。だからね、いつも自慢するの」

夫婦のことを話すとなると褒めるか貶すかになりがちなのもあるのだろうけれど、この話を聞いてから、自然と褒めることが増えた気がする。

勿論、わざわざ思ってもないことを自慢するようなことはしない。夫にも悪趣味だと嫌がられるといけないので、夫自慢をするにしても「うちの子はただの天才ですので」という程度にとどめている。

前にブログでも書いたけど、私は夫がどれだけ身近な存在であっても同化し難い他者であるという前提を持っている。

夫が私を半身だと思うのとは随分出発点が違うことが、結果として自慢話にまで差を生んでいるのではないかと思う。

表面的に見れば私のほうが愛情深く見えるかもしれないけれど、相手に対する前提を見るとまた違った風に見える。

同じ夫婦でも相手への向き合い方がこんなにも違うものなのだなあと面白く思った。

武士道 (岩波文庫)

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