別の正義

昨日、本屋で「ハーバード白熱教室」を見かけて、なんとなく手にとった。

ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業(上)

ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業(上)

タイトルだけ知っていて、どういう本か全く知らなかったのだけど、ハーバード大の人気講義が2年だか前にNHKで放送されてて、それが本になったものらしい。

数ページめくってみてこれは動画でみたほうが面白そうだと思い、調べるとNHKオンデマンドで配信されている。丁度うちではNHKオンデマンドを利用しているので、早速帰って見ることにした。

内容についてAmazonの内容紹介文を借りると、

「海で漂流し飢えに苦しむ船乗りたちは、瀕死の少年を殺し、彼の肉で命をつないだ……。彼らの行為は道徳的に許されるのか? 」

「莫大な寄付金と引き換えに資産家の子弟を大学に入学させるのは、正しいと言えるのか?」

というようなことに対し、大学生の意見を交えつつ講義が進んでいく。面白いのは、そこで浮かび上がる正しさ、白熱教室風にいうと「正義」が、人により差異があり、それぞれ問題とするポイントも異なるということである。世界最高峰の知識を持っているといえる学生たちが、それでも各々同じ問題に対して、同じ正義を導くわけではない。

これは別にハーバード大という括りだけでなく勿論、大人という括りでもいいし、政治家という括りでもいいし、会社でも、家庭という括りでもいい。

実際、夫と一緒に番組を見ながら自分ならどうするのが倫理的だと思うか、について話すとやはり違いがあったし、重要視するポイントも異なった。

ちなみにこれについてどちらが正解というものはないし、自分ならどうするかを様々な考え方を交えつつ考察することそのものが、この授業の求めるところなのだと思う、多分。

そんなわけで正義について考えていると、数日前にはてブで「いじめ対策で道徳の教科化提言へ」という記事を見かけたのを思い出した。

いじめ対策で道徳の教科化提言へ 教育再生実行会議 - 47NEWS(よんななニュース)

この記事を見たときに何か奇妙な引っ掛かりがあった。多分、付け焼刃的なものを感じ取ったからだと思う。

この引っ掛かりについてハーバード白熱教室を見ていて認識し実感したのは、「 道徳について学ぶのは子供だけでいいのか。学ぶべきは子供なのか。道徳が何かを知っている大人、子供に道徳について『教育』できる大人がどれほどいるのか」だった。

これは別に教師を責めたいわけでなく、教育現場に限らず親についても言えることだし、親戚だったり地域だったりといった括りでも言えるかもしれない。

「どうしていじめはしちゃダメなの?」「自分がされたら嫌なことは人にはしちゃダメだから」「自分が嫌だからって人も嫌だとは限らないよ」「いじめはよくないことだからダメなんだよ」「なんでよくないことなの?」「よくないからよくないんだよ」

答えのないことについて、考えることを促さず「そんなこと自明じゃないか」と乱暴に方をつける大人になってないか、私は心配になることが時々ある。

 そういうわけで、興味のある人は本なり動画なり見て、「正義」について考えてみるのもよろしいんじゃないでしょうか。

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