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家のバランス

私は親戚付き合いが苦手だ。よく分からないけど考えるだけでなぜか疲れる。

ずっとその原因について、これまでコレというものを見いだせなかったけれど、今日ふと思い当たる節にたどり着いたので自分のためにメモしておきたい。

小さい頃は田舎が好きだった。自然に囲まれ、山も川も田んぼも蛙もいる。

母方の祖母はハイカラな人で、朝食の定番はトーストと、チチヤスと、コンデンスミルクをかけた苺だった。私にとって広島の田舎はたのしい場所だった。

祖母は私が小学二年生の頃に亡くなった。同じ頃、母の唯一の兄弟である叔父が離婚した。叔父は何年か経って再婚した後、一人になった祖父のため田舎で同居を始めた。

母は私が大きくなるにつれ、田舎に帰る心構えとして、気を遣うよう口酸っぱく言うようになった。(これらの前には大体「女なんじゃけえ」が入り、)朝早く起こされ、朝食の手伝いや、山ほどある洗濯物の手伝い、人数が多いから長風呂はするな、世話になるのだから土産くらい持って帰りなさい...。

お盆は特に自分の誕生日の時期と重なることもあり、誕生日に親戚の食べた大量の洗い物をさせられて、それがあまりに惨めで泣きながら茶碗を洗ったのを覚えてる。

広島へ帰るのに、ただでさえお金も時間もかかる上、折角の休みに身内の家へいくのに何故ここまで気疲れしないといけないのか。それで私は親戚付き合いや、好きだった田舎への帰省さえ苦手になってしまった。

今朝、結婚式について考えていたら、結婚式というイベントに疲れている自分に気づいて、その原因の半分くらいが親戚への(強迫観念的)気遣いであることに気付いた。

そして、なぜ母がここまで口酸っぱく言うようになったかを考えたら、恐らくその原因は祖母なのだろうなと思い至った。

祖母がいた頃はきっと母と祖母とで切り盛りしていて、母もかつて住んでいたその家で、自分の母と台所へ立って久しぶりの再会を喜びつつ家のことをしていたのだろうと思う。

叔父が田舎へ戻り、二世帯住宅にするため(母にとっても)住み慣れた家を改築し、弟の奥さんがその家の台所の主で、つまり「お父ちゃんの面倒を見てくれている弟夫婦の家」になった田舎は、母にとっても順応するのに戸惑った変化だったのかもしれない。

祖母が生きていた頃まではあった「自分の育った田舎」からの変化が、母を「お世話になる帰省先」に変えて、その変化を敏感に感じ取った私が(もしくは必要以上であるのかもしれないが)「他人よりも気を遣わないといけない親戚の家」への帰省として認識して今に至るのだろうと思った。

祖母が生きていたら、田舎はどんな感じだったのだろう、と思う。きっと今みたいに、毎年帰るたびに忙しく家のことをするんじゃなく、ハイカラな祖母のことだからきっとお寿司でも取って「みんな遠くから来たんじゃけえ、ゆっくりしんさい」って言ったんじゃないかなと思う。

母は私がそのうち子供を連れて帰るときに、子供に口酸っぱく「あれしんさい、これしんさい」と言うことを望むのだろうかと考える。もしかしたら、「それが躾というもんじゃけえ」とやはりあれこれさせることを望むかもしれない。

でも私は、自分の子供がおばあちゃんの家に帰るのに気疲れするような親戚関係にはしたくないなと、思う。それは第一私のためであり、母のためであり、まだ見ぬ我が子のためでもある。

今度そのことについて母に聞いてみようかと思ったけど、言葉だとどうにも上手にそれを伝えられそうにない。私の思い違いで、仮に祖母が生きていても、今みたいな感じだったのかもしれない。

でもなんだか母を見ていると、その人がいないという事実以上に、祖母が早くに亡くなったことは母にとって不幸だったように思う。私は私の母に、なるべく長生きしてほしいなと思った。

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