道草を食う

人と比較をしたことがないので確かではないが、よく夢をみるほうだと思う。

みた夢は、何十年も覚えているものもあれば、目覚めた途端、煙のように忘れてしまうものもある。

今でも、小学生の頃にみた印象的な夢を時々、思い出す。ストーリー性があるわけではない。

肩まで伸びた人気のない草むらの先に錆びて壊れたパイプ製の門があって、荷台のついたトラックが門の向こうへ走っていく。私は自分の姿も隠れてしまうほどの草むらの中で、多分誰かと一緒にいた。

全体的に緑がかった、(岩井俊二みたいな)ノスタルジックでなぜかエロティックな映像だった。

気づけば最近みる夢は、まったくこういう緑味が出てこない。もしかしたら夢をみる私の体験や目線が、昔と今で変化しているからかもしれない。

そんなことを考えていたら、もう随分と道草を食うということをしていないことに気付いた。

昔は放課後の帰宅途中に空き地や町外れの砕石置場へ立ち寄って、雑草をすりつぶした青い匂いを覚えたり、バッタの足をもいで関節の仕組みを観察したりした。

そんな道草を食ったり、道が途切れたり、かかとで一所懸命に現在地を刻んだりしていたら、ここにいた。

昔にみた夢が時々ちらつくのは、感傷的な感じがして心地良い。二十年先の私からしたら今の私のいろいろも、道草を食っている途中かもしれない。

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