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本が人に与えうるもの

「本を読むと頭がよくなる」とか「小説は何の役にも立たない」とか、本を巡る人々の考え方は、さまざまである。

普段、本の有用性について考えて読書や本選びをしていないので、実質的にこれらがどのような役割を果たしているのか、私には分からない。

ただ、先日、id:Yamakatsuさんの『信号機と東京』というエントリーを読んで、なんとなくこの「本が人に与えうるもの」について、少しだけわかったような気がしたので書いておきたい。

本はTVや音楽のように、気付いたら勝手に読んでいた、ということはない。必ず自分で選び、手に取り、読むという、能動性の高い行為である。

読むことは時間がかかるので、必然的に数が限られるし、だからこそ自分にとって興味をひく、また嗜好に近いものが読まれるという傾向があると思う。

私たちが持ちうる考え方や物の見方といった類は、自分本来の性質に付け加え、本などから情報を得て蓄積する知識と、自分のみに与えられた固有の経験から得る情報がある。

前者から得たものが与える影響と、後者から得たものが与える影響の性質やベクトルは勿論異なる。

人のために作られたはずのシステムが人なしで動いているように見える

深夜の信号機や東京にある、ある種の哀愁に似た感覚を得ることそのものを飛び越えて、このように表現することに、何となく前者(つまり本の類)の影響を感じた。

というのも、私だったら同じ物事を似た感覚で捉えたとして、「システム」という構造的な視点で表現しえないだろうなあという部分、そしてこれは経験的な物事からは導かれない感覚だろうなという部分、さらにそこにYamakatsu氏の向こう側にある本等の影響を感じたから、だと思う。(本トのとこはYamakatsuさんにしか(もしくは、にも)分からないけど)

情報や経験の蓄積による影響は計り知れないけれど、こういう部分に影響の一端を見るような気がして、ふっと嬉しくなった。

本が人に与えうるものを考えると、こういうことはすごく当然のことにも思えるけれど、あまり実感として感覚的に感じられることが普段ないだけあって、ささやかなこの発見に心が躍ったわけです。

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