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ペンと紙の距離

読書や家事や勉強の合間の時間の使い方に困ったら、漢字の本をひらいて漢字を書く、ということを近頃している。

自分の語彙の少なさを改善したいという意図と、単純に漢字くらい書けたいという理由からである。

漢字というのは、読めても書くとなるとなかなか難しい。

「セッチュウ案」とか「執行ユウヨ」とか、絶対書かれてたらあたい読めるのに!これどう書くんだったっけ!とやるのが、面白い。

普段レポートを書くにも何かしらの文章を書くにもパソコンを使っていて、そのほとんどは変換され漢字になるので、読める漢字は増えても書ける漢字はむしろ減っていっている気がする。

漢字の練習をするのは普段使わない筋肉を使う感じがして、くすぐったく、もどかしく、心地よい。

大学のレポートはワープロ可・不可の科目があり、ここ最近していたのは不可の科目だったので、昨日今日と久しぶりにペンを取り、レポート用紙に長々と文章を書いていた。

物書きの知り合いの中には手書きで自分の作品を書かなければ気が済まないという人もあるが、私は書き直しが多いことや、脳と表現の距離がタイピングした方が近いというのもあって、手書きにこだわらない。だから普段書くいかなる文章も、ほとんどパソコンで執筆している。

久しぶりに紙にペンを走らせると、軽快な足取りでステップを踏むようにペンが紙面を滑る。

ペンが文字を綴る音がしずかな部屋に響く。

ああ、私はこの感覚や音を、愛していたなあ、という懐かしい空気を感じる。

「文章を書く」と一言でいっても、その文章の種類や、それを生産するまでの手段に違いがあって、どんな文章を書くだとか、どんな手段で書くだとかは好き好きなのだけど、普段直筆で書かない分、レポートを書いていてもなんだか恋文を書いているような気持ちになりながら、手書きというその行為自体がほんとうに心地よくて、つい夜中にベッドを抜けだしてまで、紙にペンを走らせた。

自分で書くと、キーボードで入力するより数段文字の距離が近い。握ったペン先から動かしたとおりに文字が流れだすのだから当然だけれど、その近さになんだかドキドキして、なかなか出てこない言葉や、つい間違って紙の上に残った書き損じも含め、この非効率的な作業も悪くないなぁと思った。

この先恋文を書く機会はもうほとんどなさそうなので、恋愛小説を書くことでもあったら手書きで書いてみたいと思う。

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