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滅びゆく私たち

もともとが出不精な上、寒くなったこの頃では、ほとんど外にでかけない。

何か用事でもあればーーと思うも、働いているわけでもなく不慣れな土地では寒空の中、わざわざ出向く事もほとんどない。

時々、思い立ったように町の本屋さんへいく。本屋さんはいい。目的の本がなくたって本屋さんを訪ねること自体が目的になりうる。これが市役所ならそうもいかない。

実際の本屋さんへはだいたい月に1〜2度いけばいい方で、欲しい本はすぐAmazonで買って積んでおくのがズボラな自分流儀であるから、本屋さんへ行っても欲しいものが前もってあるというわけではない。

だから、ブラブラと物色してなんとなく手に取る本との邂逅が主になるし、そうでなければケータイのAmazonアプリを開いて、いつ入れたか忘れたような欲しいものリストの本の中から「実際に手にとって中身を確かめてみたい系の本」を探すということをやる。

だいたいそれらは新書であったり史実物だったり、着付けの本や料理の本だったり、そういうものである。

そういう過ごし方以外にもう一つ、本屋さんで決めてる自分ルール、というか習慣がある。

「雑誌を読む」というのがそれで、雑誌でもファッションだとかそういうのだけじゃなく、普段絶対手に取らない類のもの、まったく自分と関係ないようなもの。それを手にとって、読む。

建築雑誌、都市雑誌、インテリア、映画、旅行、科学雑誌、などなど。

大半の雑誌は消費されていくように作られている。その時を反映する新鮮な情報があって、ものによって専門性があって、ペラペラとめくって楽しめるように作られている。私のような暇人本屋ウォーカーには、うってつけなのだ。

昨日本屋さんで「BRUTUS」を立ち読みした。私のような人間にはブルータスというと「お前もかー!」という悲痛な叫びしか連想されないが、恐らく有名な雑誌なんだと思う。(表紙にジョブズがいるやつ)

そこで、「この世に生き残る生き物は、強いものでも、頭のいいものでもなく、変化に対応できる生き物だ」という小泉元首相も引用したというダーウィンの「進化論」からの引用文ということになっている文を読んだ。

引用文ということになっている、というのはこの一文は進化論の中には書かれておらず、ダーウィンが言ったという根拠がないらしい上で、ダーウィンの言葉として多く引用されている、という説明書きがあったからである。

この文が多くの人の何かを捉え、今もなお多く引用されるのは、進化論的な真偽とは別に、そこに何かしら引き付ける強い言葉の力と真理のようなものを感じるから、だと思う。

この文を読んだとき、ここに書かれた「変化」について私は、webやそれを使う道具としての機械全般を含め、今の情報化社会について真っ先に連想した。

それに限らず、生きていれば否応なく環境状況、様々な変化がある。そして、私たちはそれに対応していかなければいけない。それに対応できない者の行方は……。

なんとなく、時代の変化の波に飲まれ滅んだ武士や、腹を切った三島由紀夫なんかに、思いを馳せた。

 

さて、この文章の面白いところは「進化論」という科学的に思われるものを根拠らしくしておいて、その一文ですべてを語るかのようなキャッチーさで「生き残る」や「変化」といった抽象的な語を孕んだ故の、受け手に与える解釈の柔軟性である。

何千年も前の文学を読む上でも、現代を生きる中でも私が感じるのは、世界や社会は変化しても、人間にある普遍的な性質というのは変わらず在って、その変化に対応するというようなことは「どの時代に生まれたか」の付属品にすぎない、ということである。(問題は、その付属品の影響がどの時代にあっても大きいというところだけど。)

 

「この世に生き残る生き物は、強いものでも、頭のいいものでもなく、変化に対応できる生き物だ」

この文は必然的に「生き残る」ことが最上に良いという前提を含んでいる。その中で「強いもの」「頭のいいもの」「変化に対応できるもの」という分類がある(というか、しかない)。このような文には他のものの評価は含まれないどころか、まったく無視される。なぜなら、文の意味する目的はそれらとは別のところにあるからである。

「っつーかみんなそこそこ生きてるし、イマドキDead or alive的なご時世じゃなくないですか?」などと言ってしまえば、元も子もないのである。

「生き残る」がどの時点でのことで、どのレベルのことなのか、さらに「変化に対応できる者」が本当に生き残るのかの根拠さえも、この文は提示しないわけだけど、なにせ耳あたりがよい。なにかにつけ、つい口ずさみたくなるフレーズである。

どちらにせよ滅びゆく私たちは、充分に強くも賢くも変化に対応もできない者たちであったとして「生き残るとかあたいマジ募集してないし。生きたい者と共に生きたいように生きればいいし。」と至極現代っ子的なことを思い、BRUTUSを閉じたわけです。

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