株式会社はてなに入社しました

2017年6月1日付けで株式会社はてなに入社しました。過去に2014年3月まで2年間、はてなに在籍していたので、3年ぶり2度目の入社です。
 
 
面接で「meymaoさんが仕事をする上でこだわっている部分というか、軸となっているものって、ありますか?」という質問を受けた時に、咄嗟に「会社でいちばんユーザに寄り添って味方でいること」と口をついて出たのが、自分の中でもっとも印象に残っています。
 
会社には、ビジネス面を請け負うひと、サービスを伸ばすひと、技術的にサービスの質を担保するひと......など、多様な役割と目線で仕事をするひとがいますが、私の所属するサポート部門は、技術面以外のサービスやユーザ体験の質を担保する部門だと思っています。
 
Webサービスの世界を見ていると時々、サービスを運営するうえで、どうしても目に見えやすい成果や収益を上げられる方法が力を持ち優先されているのかなと感じる場面があります。
たとえば医療という生死に重大な影響を及ぼす情報に対して不正確なコンテンツを提供しつづけ炎上したWELQの問題なども、ユーザや提供するコンテンツに責任を持たず、一面的な視点が強くなり健全な議論が生まれない土壌になってしまった結果なのではないかと感じました。
 
どのような会社でもサービスを提供するうえで、どうしてもユーザに不便を強いてしまったり、要望に応えられなかったり、意図せずサービスとして不善な方向に行ってしまったり、ときにはその判断や決定が議論されることなく(あるいは議論の必要がないと判断されるなど不足の状態で)進んでしまうことがあります。
 
そのようなWebの世界のなかでも、はてなは質のよいコンテンツを提供すること、不正な情報や利用を日々排除し安心して利用できるサービスを提供していくことにこだわりを持った企業だと思いますし、私自身がはてなに望むことも、Webの良心としてユーザに対して実直に良質なサービスを提供していくことです。
 
サポートはそれ自体が収益を生むタイプの部門ではないですが、だからといって収益を生む部門の提案をそのまま受け入れればよいわけではありませんし、収益の有無で力関係がつけば多様な視点やサービス自体の健全性が失われることにもなります。
日々ユーザへ行う通常のサポート業務はもちろんのこと、さまざまな場面において自重せずユーザの利便性やサービス自体の善良性などと、開発側のコスト面や収益などに折り合いをつけながら妥協せず議論すること、議論していくことが自分の強みであり、期待されていることでもあると考えています。
 
家でも会社でも、物事に関して意見を求められたり、よき議論の相手となれるよう、日々精進していたいという風に思っていますが、仕事をする前からあまりごちゃごちゃ書いても仕方ないので、とりあえずは仕事をしていきましょうという感じです。
どうぞよろしくお願いします。

わたしは窘められたい

電話好きな彼女は時々、飲んだ帰り道の空いた時間に、酔って電話をかけてくる。

ケータイで電話をすると熱を持って耳が熱くなるのが苦手であったが、彼女の長電話に鍛えられた昨今、電話への苦手意識もずいぶん薄れていることに気づく。連絡無精な私としては、定期的に連絡がきて受動的に近況が知れるのは、ありがたい。

「この間、24歳の子と遊んだんだけどさぁ、いい感じになっちゃって〜。付き合う気はないんだけど、雰囲気盛り上がってついつい手、出しちゃった...」

私はお風呂上がりの髪を掻き上げながら「へぇ」と聞いている。

「でもさぁ、いい年してイタイケな24歳に手ぇ出しちゃって、ちょっと反省しているわけ。若い頃ならまだしも、私たち、もうそういうことして許される年齢じゃないジャン?」

酒好きで人懐っこさのある彼女は、全く美人というタイプではないが、モテる。

「あのさぁ、一つ言っておくと、そうやって年ぶるのやめたほうがいいよ。『いい年したアテクシ』みたいなのって自分では卑下してるつもりだろうけど、言ってる本人が満足するだけで他人からしたらどうでもいいし見苦しい。それに『イタイケな24歳』なんて言ってるけど、あなたご自分の24歳の頃を思い出してみなさいよ、『イタイケ』だった??」

こういう時は「付き合う気のない人間には手を出してはいけません」と助言するべきだろうか。彼女相手にそんな野暮なことを言う気になんてなれないし、彼女のやるままでいてくれたほうがこちらとしては面白い。

受話器越しにちょっと考えるように唸ったあとに「あー、ごめん。思い出したわ、24歳。たしかに『イタイケ』とは程遠かったな、イタイケと言っていいのは16歳くらいまでだわ」と笑って、まぁなるようになるよね〜と言いつつ、出来レースでしかない次回の予定の話をしている。

 

彼女との間柄も昔はもう少し殺伐としたものだった記憶があるが、今ではすっかり彼女から報告される日常の話を聞いて、時には少し窘めたり、助言したり、励ましたり、そんな感じになっている。

 

ここでふと自分について思い返すと、普段あまり窘められたり、叱られたり、助言されたりする機会が少ないことに気づく。

元々自分の話をするより人の話を聞く役割をすることが多いのが一因っぽいけど、気づいてしまうと何となく誰かに窘められる機会が少ないことに、危機感を抱いてしまう。大人になればなるほど、自分のことを窘めたり叱ったりしてくれる人は少なくなって、価値観や視野が狭まっていくから。

 

先日、夫の会社の飲み会にお邪魔したときにも、窘められることについて「いいなぁ」と思う光景に出くわした。

同じテーブルに夫の会社の社長夫妻が座っていて、大皿から取った料理を口に運ぶ社長に、社長夫人が「取り皿があるのだから、一旦取り皿に取ってから食べるんだよ」と窘めていた。それに対して社長は意に介さず再び大皿から取った料理を口に運んでいたけど、その光景をわたしは「いいなぁ」と思い眺めていた。

わたしの好みだけど、お行儀やマナーについて、気になる人も気にならない人も、知ってる人も知らない人もいるけれど、奥さんにするなら気になる人(知っている人)がいいし、ちゃんと口うるさく注意してくれる人のほうがいい。

うちでも似たような光景を再現することがあるけれど、言う方はこれ非常に面倒くさいし、何の得をするものでもないんだけど、だからこそそれって何だかとても I love you っぽいと思う。

もちろん、誰にでも窘められたいかといったらそうではなくて、相手との信頼関係が充分にあって、何か自分が間違えたことをしたときや、直したほうがよい部分があるときに、相手が注意してくれる(あるいはしてくれるだろう)というのは、自分が安心して相手に任せて甘えられる関係性ということでもあると、社長夫妻のやり取りを見て思った。

そういう甘くあたたかい世界で、わたしも窘められていきたいわけです。

 

形見になるようなものを身に着けてと私は母に言った

母はほとんど自分にお金をかけることをしない人だった。

苦労人らしく貧乏性という言葉がぴったりの人だが、それでいて格好はいつも草臥れた感じがない。

「みてみてこの指輪! 教会のバザーで買ったんだけどね...幾らだと思う? 百円、なの!そんな風に見えないでしょう? うふふ」という具合で、何事にもこれという欲もなく、どんなものにも楽しみを見つけられる人だ。

 

川端康成の作品に「片腕」という短編小説がある。ある男が若い娘から片腕を借りて自分のアパアトメントに持ち帰り一夜を過ごすという官能と夢想入り交じる話であるが、その出だしは、娘が男に自分の片腕を貸す会話から始まる。

「あ、指輪をはめておきますわ。あたしの腕ですというしるしにね。」と娘は笑顔で左手を私の腕の前にあげた。「おねがい......。」

左片腕になった娘は指輪を抜き取ることがむずかしい。

「婚約指輪じゃないの?」と私は言った。

「そうじゃないの。母の形見なの。」

小粒のダイヤをいくつかならべた白金の指輪であった。

「あたしの婚約指輪と見られるでしょうけれど、それでもいいと思って、はめているんです。」と娘は言った。「いったんこうして指につけると、はずすのは、母と離れてしまうようでさびしいんです。」

この短い話を読み終えた後にも、なぜかこの指輪のシーンだけが深く私の心に残った。というのも、私には母から貰い受けるような形見となる何かがあるだろうかと、ふと思われたからである。教会のバザーで百円で買った指輪では、あまりにさびしい。

私も母と似て、自分のためにお金を遣うことが得意でない。だから、どうしても自分を後回しにしてしまう母の特性がよく理解できる。

この短編を読んでしばらく後、母に「形見になるような、よいモノを買って身に着けて」と言った。「川端康成の小説でね、こういう話があって。母の形見を身に着けているシーンがあるのだけど。お母さんから貰い受けるものが何もないのではさびしいから」。

その話をしてから、母はよく物を買うようになった。

元々仕事をしており、お偉いさんとの会合にも顔を出す機会の多い人なので「いい年齢だし、やっぱそれ相応の物を持っていないとね〜」と一緒にショッピングへ付き合うことも多いが、「ちょっと高いかなぁ...でもこれ買っても、ゆくゆくはミネコのものになるからね!」とまるで買う理由を自分に納得させるようにつぶやいて買う姿には、我が母ながら微笑ましくなる。

ゆくゆく自分が貰うかどうかはさて置いて、自分の身に着けるものに興味を持ち、一緒に買物へ出かける機会が増え、自分のための人生を謳歌して生き生きとしている母の姿を見ると、思いもよらず「こう生きてよいのだ」と肯定されるような、安堵する気持ちにもなる。

母にはこれからも、形見にしてもよいと思えるような良いモノを身に着けておいてもらいたい。

 

眠れる美女 (新潮文庫)

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