初めて付き合った恋人が死んだ

タイトルが増田っぽいなと思い、増田に書こうかとも思ったけど自分のブログに書いておくことにする。*1
 
数日前、地元の友人から連絡があって、昔の恋人が死んだことを知った。急性心筋梗塞で、車の中で亡くなっていたのを発見されたと聞いた。中学から高校にかけての半年程度の付き合いで、初めての恋人だった。
細かいことは遠いむかしのことだし省略するとして、私たちは付き合い半年で別れて、それから一度も会ってないのでもう20年近く会っていない。
 
中高生の頃に経験したこの恋は、十代の思春期にありがちな恋愛らしく、お互い身勝手で、未熟で、そして失敗した恋だった。
あまりよい別れ方でなかったのもあって、別れに伴い率直に言って当時かなり恨んだし、死のうかと思ったし、何なら殺してやろうかと思った*2けれど、そういう負の感情は結局相手を思いやるより自分中心に物事を考える未熟さと、相手への依存と、考え方の安直さからくる我儘だったと思う。
比較的長い間、その負の感情を抱いて女の子が一番キラキラする時代を自らドブに捨てた気がする。(今となってはどうでもよいし、彼のせいでもない)
 
それだけ強い負の感情を抱いていたのに、それも時間とともに思い出すこともなくなり、今となっては遠いむかしに自分が恋をし傷ついたことがあったという事実らしいものだけが荒野の骨のように残っている。
 
地元の友だちから連絡をもらった時も、あまりの懐かしさに、本当にこの彼は私が記憶している彼と同一人物なのだろうかと思った。
そもそも遠い記憶すぎて、最初からありもしない作り物の過去の記憶を植え付けられて信じ込んでいるSF映画の登場人物みたいな気持ちにならないこともない。
自分の人生の一時期に強い影響を与えたはずだったのに、少なくともこの10年、そして今後の人生においても、彼が私の記憶の中にのぼる機会はほとんどなかったと思う。
 
ただ数年に一回、地元に帰ることになったときに、連絡先も知らないしもう二度と会うこともないとは分かっているけど、それでもどこかで彼に会う機会があったなら、私は何て言うだろうと、ぼんやり考えるくらいのものだった。
 
「私はあの時とても傷ついた、謝ってほしい」と言っただろうか。それとも微笑を浮かべて「あなた、私を手放すなんて見る目がなかったわね、本当ご愁傷さま」なんて言ったかもしれない。あるいは「昔はかっこよかったのに、いいオジサンになっちゃったわね」なんて意地の悪いことを言いたかったかもしれない。
 
そんな空想の世界で同じ時間を過ごすことも、彼の訃報によって叶わなくなった。
人間いつ死ぬか分からないとしても、同い年なのに、まさか死ぬだなんて思わない。
 
こんな普段しない昔話を書いてしまうのは、ちゃんと成仏させられなかった自分の過去の恋心を彼の訃報とともに成仏させたかったのかもしれないし、自分の人生の一つとして切り取って残しておきたかったのかもしれないし、単純にショックで感情を整理したかったのもあるのかもしれない。
 
いまさら彼に望むことなど一つもなかったし、自分が何を望んでいるかなんて考えたこともなかったけれど、それでも一つ望むことがあったとしたら、このままお互いどこでどうしてるかなんて分からないまま生きて、そして「もしもあなたに会ったなら何て言うかしら」と時々考えながら終える一生を、わたしは望んでいたかもしれない。
 
 

*1:増田どころかそもそもこれについての文章をブログに書くかどうか自体を迷ったことは言うまでもない。

*2:念のため書いておくけど当然のこと実際に殺そうとはしていない

株式会社はてなに入社しました

2017年6月1日付けで株式会社はてなに入社しました。過去に2014年3月まで2年間、はてなに在籍していたので、3年ぶり2度目の入社です。
 
 
面接で「meymaoさんが仕事をする上でこだわっている部分というか、軸となっているものって、ありますか?」という質問を受けた時に、咄嗟に「会社でいちばんユーザに寄り添って味方でいること」と口をついて出たのが、自分の中でもっとも印象に残っています。
 
会社には、ビジネス面を請け負うひと、サービスを伸ばすひと、技術的にサービスの質を担保するひと......など、多様な役割と目線で仕事をするひとがいますが、私の所属するサポート部門は、技術面以外のサービスやユーザ体験の質を担保する部門だと思っています。
 
Webサービスの世界を見ていると時々、サービスを運営するうえで、どうしても目に見えやすい成果や収益を上げられる方法が力を持ち優先されているのかなと感じる場面があります。
たとえば医療という生死に重大な影響を及ぼす情報に対して不正確なコンテンツを提供しつづけ炎上したWELQの問題なども、ユーザや提供するコンテンツに責任を持たず、一面的な視点が強くなり健全な議論が生まれない土壌になってしまった結果なのではないかと感じました。
 
どのような会社でもサービスを提供するうえで、どうしてもユーザに不便を強いてしまったり、要望に応えられなかったり、意図せずサービスとして不善な方向に行ってしまったり、ときにはその判断や決定が議論されることなく(あるいは議論の必要がないと判断されるなど不足の状態で)進んでしまうことがあります。
 
そのようなWebの世界のなかでも、はてなは質のよいコンテンツを提供すること、不正な情報や利用を日々排除し安心して利用できるサービスを提供していくことにこだわりを持った企業だと思いますし、私自身がはてなに望むことも、Webの良心としてユーザに対して実直に良質なサービスを提供していくことです。
 
サポートはそれ自体が収益を生むタイプの部門ではないですが、だからといって収益を生む部門の提案をそのまま受け入れればよいわけではありませんし、収益の有無で力関係がつけば多様な視点やサービス自体の健全性が失われることにもなります。
日々ユーザへ行う通常のサポート業務はもちろんのこと、さまざまな場面において自重せずユーザの利便性やサービス自体の善良性などと、開発側のコスト面や収益などに折り合いをつけながら妥協せず議論すること、議論していくことが自分の強みであり、期待されていることでもあると考えています。
 
家でも会社でも、物事に関して意見を求められたり、よき議論の相手となれるよう、日々精進していたいという風に思っていますが、仕事をする前からあまりごちゃごちゃ書いても仕方ないので、とりあえずは仕事をしていきましょうという感じです。
どうぞよろしくお願いします。

わたしは窘められたい

電話好きな彼女は時々、飲んだ帰り道の空いた時間に、酔って電話をかけてくる。

ケータイで電話をすると熱を持って耳が熱くなるのが苦手であったが、彼女の長電話に鍛えられた昨今、電話への苦手意識もずいぶん薄れていることに気づく。連絡無精な私としては、定期的に連絡がきて受動的に近況が知れるのは、ありがたい。

「この間、24歳の子と遊んだんだけどさぁ、いい感じになっちゃって〜。付き合う気はないんだけど、雰囲気盛り上がってついつい手、出しちゃった...」

私はお風呂上がりの髪を掻き上げながら「へぇ」と聞いている。

「でもさぁ、いい年してイタイケな24歳に手ぇ出しちゃって、ちょっと反省しているわけ。若い頃ならまだしも、私たち、もうそういうことして許される年齢じゃないジャン?」

酒好きで人懐っこさのある彼女は、全く美人というタイプではないが、モテる。

「あのさぁ、一つ言っておくと、そうやって年ぶるのやめたほうがいいよ。『いい年したアテクシ』みたいなのって自分では卑下してるつもりだろうけど、言ってる本人が満足するだけで他人からしたらどうでもいいし見苦しい。それに『イタイケな24歳』なんて言ってるけど、あなたご自分の24歳の頃を思い出してみなさいよ、『イタイケ』だった??」

こういう時は「付き合う気のない人間には手を出してはいけません」と助言するべきだろうか。彼女相手にそんな野暮なことを言う気になんてなれないし、彼女のやるままでいてくれたほうがこちらとしては面白い。

受話器越しにちょっと考えるように唸ったあとに「あー、ごめん。思い出したわ、24歳。たしかに『イタイケ』とは程遠かったな、イタイケと言っていいのは16歳くらいまでだわ」と笑って、まぁなるようになるよね〜と言いつつ、出来レースでしかない次回の予定の話をしている。

 

彼女との間柄も昔はもう少し殺伐としたものだった記憶があるが、今ではすっかり彼女から報告される日常の話を聞いて、時には少し窘めたり、助言したり、励ましたり、そんな感じになっている。

 

ここでふと自分について思い返すと、普段あまり窘められたり、叱られたり、助言されたりする機会が少ないことに気づく。

元々自分の話をするより人の話を聞く役割をすることが多いのが一因っぽいけど、気づいてしまうと何となく誰かに窘められる機会が少ないことに、危機感を抱いてしまう。大人になればなるほど、自分のことを窘めたり叱ったりしてくれる人は少なくなって、価値観や視野が狭まっていくから。

 

先日、夫の会社の飲み会にお邪魔したときにも、窘められることについて「いいなぁ」と思う光景に出くわした。

同じテーブルに夫の会社の社長夫妻が座っていて、大皿から取った料理を口に運ぶ社長に、社長夫人が「取り皿があるのだから、一旦取り皿に取ってから食べるんだよ」と窘めていた。それに対して社長は意に介さず再び大皿から取った料理を口に運んでいたけど、その光景をわたしは「いいなぁ」と思い眺めていた。

わたしの好みだけど、お行儀やマナーについて、気になる人も気にならない人も、知ってる人も知らない人もいるけれど、奥さんにするなら気になる人(知っている人)がいいし、ちゃんと口うるさく注意してくれる人のほうがいい。

うちでも似たような光景を再現することがあるけれど、言う方はこれ非常に面倒くさいし、何の得をするものでもないんだけど、だからこそそれって何だかとても I love you っぽいと思う。

もちろん、誰にでも窘められたいかといったらそうではなくて、相手との信頼関係が充分にあって、何か自分が間違えたことをしたときや、直したほうがよい部分があるときに、相手が注意してくれる(あるいはしてくれるだろう)というのは、自分が安心して相手に任せて甘えられる関係性ということでもあると、社長夫妻のやり取りを見て思った。

そういう甘くあたたかい世界で、わたしも窘められていきたいわけです。

 

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