最後の会話

母方の祖父はこの四月に亡くなった。95歳の長寿で、生前私が母方の家系のあれこれを好んで祖父に聞いていた*1こともあり、祖父と私は昔話をする仲の良い間柄だった。

六月、祖父の四十九日の法要に合わせて、うちの両親宅へ家族集まって、祖父を偲ぶ会をしようということになった。とくに何のイベントを考えていたわけではないけれど、何をしようか母に聞かれ「自分しか知らないおじいちゃんとの思い出を話すのはどうか」と提案した。

 私が祖父と最後に会ったのは去年の秋で、田舎で毎年秋にやっている神楽を観に母や姉と合わせて帰ったときだった。

 

 

祖父との最後の会話は、今でも覚えている。おじいさんとはたくさんの話をしたけれど、この先もう幾年もお話をする機会はないだろうと漠然と感じていた。頭がよくしっかりしていた祖父も、ここ数年で急激に老いた様子を感じていたからである。

 

95歳のおじいさんには「人生」は今、どのように写っているだろうか。60代にして死別した祖母とは、結婚生活と死別後の生活が同じくらいの長さになってしまっている。連れ添った妻に先立たれ、子や孫に恵まれたとはいえ、老後を一人で過ごしてきたのはどのような気持ちだったろうか。

そんなことを思い、祖父に「おばあさんと過ごした結婚生活と、死別してからの時間とが同じくらいになったが、おばあさんがいないのはやはり寂しいものですか」と聞いた。こんな質問をするのは当然初めてだった。

おじいさんは少し考えた様子で黙ったけれど、「どがあなじゃろうなあ」と照れ隠しのような苦笑いとともに、言葉を濁した。時は何かを流していくものなのだろうか。

 

祖父を偲ぶ会で、そんな話を祖父と最後にしたことを話そうと思っていたら、母が「荷物整理してたら出てきたんよ」と言って、祖父からの手紙を出してきた。

祖母が亡くなった一年後に、祖父が母や我々孫に宛てた手紙だった。祖母は私が小学生低学年の頃に亡くなっているので、もう25年以上前の手紙だった。

「お父ちゃんの手紙を読んでて鳥肌が立ったんよ、みてみて」といって母が指差した先には、姉、兄、私へ宛てた手紙のなかの兄宛ての手紙で、いろいろなお説教に並んで「自動車事故には気をつけなさい」と書かれていた。

「もらった時には気づかなかったけど、この手紙の翌年に兄君は交通事故に遭うとるんよね。なんかお父ちゃんには分かっとったんかねーって思って」と母は驚いた様子だった。

子どもの頃にもらったその手紙の内容は、母は勿論我々兄弟(孫)も覚えておらず、各々自分に宛てられた手紙を読んだ。

姉の手紙には「兄弟を大事に世話をするように」と書かれ、兄の手紙には「交通事故に気をつけなさい」という内容だったが、私への手紙には、そのような助言じみた内容は書かれておらず、ただただ小さな子どもに向かってやさしい言葉でおじいさんの気持ちを語りかける文体で書かれていた。

「おじいさんは昨年おばあさんを亡くして、とてもさびしいです」

祖父を偲ぶ会で、最後に私が祖父に質問した会話ーーおばあさんと死別して随分経つが、さびしい気持ちはあるかーーについて、ちょうど話そうと思っていた矢先の手紙の内容だったので、さまざまな時空を経て、祖父が私に最後の質問を回答してくれたようだった。

 

今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」

*1:祖父の両親、つまり私の曾祖父母やその上の代の話を個人的に調べており、祖父にも昔の話をよく聞いた。

会社経営をしている姉の話

お盆休みに、ひさしぶりに家族親類揃ってわいわい食べたり飲んだりした。

うちは四人兄弟の六人家族で、私(次女)と弟(次男)以外の両親姉兄は全員、会社経営者もしくは会社役員という家で、昔から食卓での話題は会社にまつわる話題だったし、いまも家族が集まると自然と会社経営などの話になる。

で、この夏に行われたそんな話のなかで、会社経営をしている姉の話が個人的に非常におもしろかった。

 

父と姉がお酒混じりにいつもの経営談義をしていて、姉がしみじみ「社長をしてるって言うとだいたいみんな『ええ、社長!すごいね!』って言うんよね。でも、全然すごくない。私は、自分がいかに仕事ができないかを、自分がやってみて情けないほど自覚してるから、自分ができない分、人に助けてもらわらんといけんかった。だから会社を立てただけなんよね」と話していた。

「別に会社経営していることをすごいとも思わんけん、ママ友とかと話す時も面倒だし会社経営してるとか言わん。仕事を聞かれたら"ネット関係"って言うくらい。」

社長がすべて敏腕で自信家な人だとは思わないけど、私にとっても私の家族にとっても最も身近な経営者は父で、父は(おそらく)人より仕事が出来て、こういうことがしたいというビジョンがあり、それを良くも悪くも突き進めていくタイプの経営者だったので、姉のような視点は、私にとっては(姉を知っている分納得感はあるものの)新鮮な驚きがあった。

 

姉はこども服を販売するネットショップを経営していて、楽天やヤフーやその他のECサイトで店舗を展開している。旦那さんが元々服の卸しをしていたのだけど、その商売が時勢だかで数年前にうまくいかなくなり、先にネットショップを経営していた知り合いに「かんたんに出来るよ〜」などと勧められて、自分たちで仕入れた商品を販売するネットショップを始めた。

私は姉がネットショップを立ち上げる頃からその状況を見ていて、もちろん夫婦揃ってネットショップは未経験でかつ「パソコンでメールってどうやって送ると?」というレベルだった姉に、メールの送り方から画像編集、ホームページビルダーの使い方など基本的なあれこれをレクチャーした記憶があるので、ほとんどゼロからのスタートだった。

初年度の廃業率が30%、それ以降は50%とも言われているネットショップで、成長を続け起業三年で十数人の従業員がいるとのことなので、本当にさまざまな努力をしたのだろうと我が姉ながら凄みを感じる。

そんな背景のある姉が「自分ができない分、人に助けてもらわないといけなかったので会社を立てた」と話したのは、とても素直で率直な理由だと思う。

父はどちらかと言うと自分のやりたいことやビジョンがあり、常に夢を追っているタイプの経営者で、昔の男気質なりに、自信や見栄や欲望もあるのだろうと感じるけれど、姉の語る経営論はある種身の丈にあったもので、「子ども四人抱えて家族六人、たのしく暮らせるように生活できたらよい」という部分が起点になっているところが、これまで父を通して感じていた自分の中の「経営者」のステレオタイプとかけ離れていてーーそれを語っているのが父の娘である分ーーー尚のことおもしろく感じた。

姉は会社や従業員も大事だが、その根底には家族が大事というのがあって、家族を養うために他人の力を借りて会社を経営していると言った。

父はそれに対して「会社を経営するということは従業員の生活や取引先の利益を保証せんといかんから、まず従業員や取引先があってはじめて自分ら家族が食えるわけだから、従業員や取引先のほうが優先度が高くて家族はその次」といったことを言っていて、それに対し姉は「父さんはそうかもね、私は違う」という話をし、僕は「従業員は給与という対価を払って労働してくれているに過ぎないので、お父さんの考え方はおかしい」と言っていて、とにかくそこにいたさまざまな人の考え方が可視化されておもしろかった。

 

姉の話していた仕事の話でもう一つおもしろかったのが、自分がたのしかった仕事の体験が、今の会社経営のベースになっているところだった。

「私は高校時代にバイトをしていたんだけど、本当にバイトがたのしくて、バイトに行くのがたのしみだったんよね。だから、私の会社でも働いてくれてる人が、仕事がたのしいって思ってくれる職場にしたいと思ってる。子持ちのママさんが多いんだけど、働いてくれてる人のライフスタイルに合わせて、子どもの体調不良やイベントとかでも自由に勤務できるようにしていて、そのお陰か辞める人もおらんで、募集を出す時に退職率0って言うとビックリされる」と話していた。

姉自身が子持ちのママなのもあるけど、まずたのしんで仕事をしてもらえるよう意識して工夫をしているという部分が、「儲ける」でも「自分の能力を試す」でもない、素朴な労働の喜びみたいなものがそこにあって、それで自分も家族も働いている人もたのしく生活できればよい、という、ある種控えめな考え方に起因するのがおもしろい。

 

「会社を経営する」と一口に言っても、業種や形態などさまざまなわけで、どのようなきっかけで、どのような理由で会社を経営するかなんて、たしかに経営者の数だけあって当然だよなあと思う。

ちなみに、時々「社員も経営者視点を持って然るべき」みたいなことが言われる場面に遭遇することがあり、父もどちらかというとそういう事を言ってしまう系の経営者なんだけど、私は雇用されている一人ひとりの持つプロフェッショナルな部分を活かした総体として存在する会社が強いと思っていて、みんなが経営者視点持ってたら偏るよね、という考え方で、この組織の多様性については意外と父の会社も姉の会社も意識されていないようで、多様性のある組織を作るのって難しいんだなぁと感じた。

とにかく実家の経営者談義を聞いているとなかなかお腹がいっぱいになるので、私は私で自分の好きな仕事をするぞという気持ちを新たにしたのでした。

河井寛次郎記念館を訪れた

仕事で京都へ行く機会があったので、河井寛次郎記念館を訪れた。

 

河井寬次郎記念館 公式ホームページ


 五条坂のふもとにあるこの記念館は、大通りから入った住宅街にあって、町並みに馴染みすぎていてうっかり見落とすほどです。

  

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河井寛次郎は大正から昭和にかけて京都を拠点に活動した陶芸家で、陶芸以外にも木彫や金属作品、書など、幅広い作品を残しています。

民藝館を訪れるのが好きで、倉敷や益子など民藝館や陶器市を目当てに行くこともありますし、住んでいる東京でも日本民藝館をはじめ、民藝品に親しめる場所に何度か足を運んだりしていますが、個人的には河井寛次郎記念館は別格のおもしろさがあった。多分、さまざまな作品が並んでいて展示されているという形式ではなく、住居と窯を持った河井寛次郎の、仕事場とも自宅ともつかない空間にいるという体験が得も言われぬ趣となって感じられるからだと思う。

 

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ところで民藝館を訪れると個人的にチェックしてしまうのが「椅子」で、今回も河井寛次郎記念館で椅子をとくに注目して回ったのですが、いろんな形の椅子があって、個人でよくもまあこれだけ揃えたものだと関心する。

 

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椅子は実際に座ってみることもできて、日用の美と素材の感触を直に体感できる。

 

河井寛次郎は「暮しが仕事、仕事が暮し」という人で、記念館にも仕事に関する言葉が展示されていました。

 

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率直な感想を言うと「エンジニアっぽいな」と思いました。ものづくりの人の感性なのかもしれません。

 

この日は五条坂やら清水寺界隈をぶらぶらして河井寛次郎記念館を訪れましたが、窯が多くあった場所らしく付近に無人の陶器販売などもいくつか見かけました。界隈では陶器体験のお店もいくつかあり、そちらにも興味があったのですが、今回は時間がなく断念しました。

京都に二年暮らしていたときに来ていればなぁと思いつつ、旅先で陶器と出会うのもまた楽しみなので、少しずつ訪れて、探したり買ったり作ったりしようと思います。

 

  

普段使いの器を探して やきものの里めぐり (楽学ブックス)

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